――今回の『まなざし』本は、半年がかりの仕事で松田さんもお疲れになったでしょうが、ヒューマンワールドとしても、出血大サービスです。何しろ、本文450ページ余りに脚注、人名索引、脚注キーワード索引付きで、普通の本なら3冊分の分量です。それを3300円で読んでいただこうというわけです。それだけ鍼灸界にとって価値あるメッセージだと思って、力を入れたわけなんです。
松田でも、読者の中には、以前、『あはきワールド』に連載した文章をまとめたのなら、買わなくてもいいやと思っている方が多いんじゃないでしょうか。それは間違いです。連載を終えてから、この2年間、鍼灸界を取り巻く状況は急速に変化しています。その変化を反映させるべく加筆していますし、他の論文や講演の記録も収めています。本文に盛り込めなかった自説は、3カ月かけて410項目の脚注にたっぷり書き込みました。それだけで1冊分の分量になりましたからね。「本書を読まずに、日本鍼灸を語れない」という広告コピーは、自分でも大げさだとは思わないんですよ。
――『鍼灸の挑戦』(岩波新書)以降5年間、グローバリゼーションに煽られる日本の鍼灸界を見聞し、考えてこられた忌憚のない批評、分析、提言がこれほど歯に衣着せず語られた本は、これから先も多くは出ないでしょう。そういう意味で、快著だし怪著ですね。読者が待っていた本であることは、弊社や松田さんの所にたくさん感想文が来ていることからも窺えます。一番力を入れられたテーマは何だったのでしょうか。

「本書を読まずに日本鍼灸は語れない」と話す松田博公氏
松田日本鍼灸について語った本だから、日本鍼灸のことばかり書いているのかと思われるかもしれませんが、むしろ中国古代鍼灸や中医学の現状についてたくさん書いています。日本鍼灸について考えるためには、その原型である中国古代鍼灸や、その現在形である中医学の理論などと照らし合わせる必要があるからです。そして、天人合一思想がなければ古代鍼灸術は形成されなかったという点をくどいほど強調しています。天人合一思想ほど、鍼灸術形成に決定的な役割を果たしたものはないのに、日本の古典研究者や古典派臨床家は、この思想の価値を十分理解してこなかったというのが、わたしの主張です。しかも、この思想は鍼灸が未来の地球社会の医療になるための思想としても重要です。そのこともまた理解されているとは思えないのです。
もうひとつ力を入れたのは、日本の鍼灸家が口にする自然治癒力思想のルーツを明らかにすることでした。結論的に言うと、日本の東洋医学の自然治癒力思想は、中国直系ではなく、江戸時代に蘭学を通して輸入されたヨーロッパのヒポクラテス医学でした。ただし、それを受け入れた基盤には、江戸初期までに日本で成熟していた「邪正一如」の自然治癒力思想があった。それは、中国の「邪正闘争」の自然治癒力思想とは違う日本的ないのち観として、密教や修験道などの自然的宗教が醸し出してきたものです。この「邪正一如」の自然治癒力思想こそ、日本鍼灸の思想として発掘し、未来に引き継ぐべきものだと思います。江戸初期の打鍼文献には、「病は命、命は病なり」という素晴らしいいのち観が記されています。病気と命の営みは切り離せない、生きているから病むのであり、病気は命の表現だというのです。生きようとする命の表現である症状を、現代医療の対処療法のように押さえ込んではいけない。日本人は恐らく中世からそう考えてきたのです。
そのほか、気の思想がなぜ日本ではあいまいか、その必然性も検討しました。日本鍼灸学の三層構造(〈原型論〉〈段階論〉〈現状論〉)についても提案しました。『チャングム』が教えているあるべき伝統医療の実践者のたたずまいについても分析してあります。柳谷素霊の思想の現代的意味も、触れないわけにはいきませんでした。日本鍼灸とは何かを論じる際に不可欠な日本文化論については、丸山真男や山田慶児の重要な先行研究を紹介しています。わたし自身が読み返して一番楽しいのは、中華武侠ドラマ論ですね。そこでは、なぜ中国の武侠テレビドラマの最高、最強の武器が琴や笛などの楽器なのかを通して気の思想を検討し、日中鍼灸比較論を展開しています。その他、日本的な浅刺や接触鍼がなぜ効くかを根拠づけてくれる傳田皮膚科学について解説しましたし、中医学の世界独覇計画とWHOの関係や鍼灸教育のこととか、もろもろですね。
――著者自らに宣伝していただいて、ありがとうございます。
松田確かに自己宣伝は、恥ずかしいことですが、せっかく山の樹木を切り倒してパルプ材にし、本を出すのですから、つまらない物ですが、と言ってすましているわけにはいきません。ほんとにつまらない物なら出すべきではないですから。
――ヒューマンワールドとしても、本書が多くの読者の手に渡り、日本の鍼灸界の意識の変革につながるよう努力したいです。
(終)