週刊あはきワールドへようこそ! 2011年6月15日号 No.237

意識と鍼灸 第27回


鍼灸と意識(その14)

《特別テーマ》現代における健康問題について

東京九鍼研究会 石原克己

1.現代と健康問題

 私たちは、日常生活の中で、特に「健康」という問題を意識することは少ないと思います。「健康」のバロメーターは、人によりそれぞれ異なりますが、現代ほど「健康問題」が取り沙汰されることはなかったと言えます。日本の医療費は、国家予算40兆、国債40兆?、合わせた80兆?のうち35兆に増大しています。癌においても、年間治療費が15兆円規模に膨らみ、全く効果の期待も出来ない子宮頸癌ワクチンも無料ということで全政党の婦人部、マスコミを通じて1000億もの予算を組んでいます。さらに、あるアンケートでは、271人の医師に「自ら癌になったら抗癌剤を打つか?」と尋ねたら270人が「断固NO!」だったそうです(船瀬俊介「マスコミのタブー100連発」『ザ・フナイ』2010・4月号)。

 テレビを始めとしたマスコミに、マインドコントロールされてしまった医療関係者、国民も、異常としか考えられません。

 現代医学・医療は、医療設備が高度になり、一見病の改善を有利にしてくれたように見えますが、先程示したマインドコントロール、つまり五感を通じた情報操作を一人一人の潜在意識へ植え付けたあげく、医原病の増加、難病・奇病の増加…など、日本人を瀕死の癌末期状態まで煽動してきてしまいました。

 さらに、私たち人類を始めとした生きとし生ける命は、大自然界の中(天の川銀河の一部の太陽系、地球という星)に生かされ、命・本来もっている生命力・自己治癒力を一部の理解者以外目盲状態にしてきました。

 具体的には、社会の中での精神的疲労や、ストレス病が増加し、栄養過剰、運動不足などによる生活習慣病が子供にまで及んできています。そして、農薬、食品添加物の広範な食品公害、複合汚染による流産、奇形児の出生、高圧線、テレビやコンピューターに代表される電気製品、レーダー等に見られる電磁波による障害…と、人間をとりまく環境が疾病の原因となってきています。さらに、人間に及ぼす影響を超えて、日光、空気、水、私たちを生み育て、生かしてくださる大地さえも破壊しつつあります。ぜひとも、宇宙・地球という命の息吹・歓喜の中で生かされ、生きていく中で、健康的で幸せで創造的日々を送れるために、自らの本質である真我・神我・内なる神仏との出会いが急務となっています。

2.様々な定義による健康の認識

 そのような現代の問題をも踏まえて、健康について考えていきます。

 健康について、『広辞苑』には「身体に悪い所がなく、すこやかなこと。達者。丈夫。壮健…」とあります。二木謙三の『健康への道』では、「太陽、月の運行はいつも時間通り正確である。ちょうどそのようにいつも変らず楽しく元気で働くことができるのが即ち健康である」とあり、沢瀉久敬の『医学概論 第三部・医学について』では、「健康とは、生命力が充実し、その働きが充分発揮されている状態」となっています。これらの定義はかなり漠然としていますが、直感的に理解できると思います。

 一方、アレキシス・カレル(1873~1944)は『人間、この未知なるもの』の中で「健康には、自然的健康と人工的健康と二種ある。われわれが欲し求めるのは、伝染病や変性疾患に対する組織の抵抗力と、精神系統の平衡からくる自然の健康で、特定の食養生や、ワクチン、血清、ホルモン、ビタミンや定期医療検診や医療関係者の高価な保護にたよった人工的健康ではない。」と「生命体としての人間」、「命への信頼」、「人としての在り方」まで言及しております。

 また、『WHO』1951官報掲載の訳での健康の定義は、「完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病または病弱の存在しないことではない」とあり、人間の心と体のほかに社会という言葉で、人間の置かれた「周囲・環境」の三点を強調しております。これは、「環境に対して調和した適応力をもつ」ということにもなります。もう一歩論を進めた、菊地令照は『健康問題と仏法』の中で、「健康とは、身体全般が、強いなりに或は弱いなりに調和がとれている状態」であるとし「心眼開くと、環境、身体、心の三つの自然を知り、自然の摂理に即応する生活をしていれば病気にならない」と断言しています。また、『WHO』1998WHO執行理事会(総会の下部機関)での健康の定義は、「完全な肉体的(physical)、精神的(mental)、霊的(spiritual)及び社会的福祉のダイナミック(Dynamic)な状態であり、単に疾病または病弱の存在しないことではない。」とスピリチュアルな面まで入った大変素晴らしい定義になってきました。

 マハリシ・マヘーシュ・ヨーギは、「健康は、生命にとって最も大切な問題です。全てのことが健康に依存しています。健康を考えるには、個人の健康と宇宙の健康を考える必要がある。」と言います。マハリシはまた、『超越瞑想入門』の中で「“存在” “心” “体” “周囲” “存在と心” “心と体” “体と周囲”の調和している状況を健康という。」とも言っています。

 このように健康の定義にも、「身体」だけのレベルから、「精神」「社会」「人としての在り方(霊性)」、さらに「地球」「宇宙存在」までと、さまざまな段階の認識の仕方があることがわかります。

3.病と適応能力

 健康問題について考えてきましたが、ここでは「適応」という言葉の意味を考えてみたいと思います。なぜなら、この問題を考えるときのキーワードが、天人合一と自己治癒力をベースにした「適応能力」という言葉だと私は思うからです。

 「適応」という言葉を調べてみますと、『広辞苑』には「①その状況によくかなうこと。ふさわしいこと。あてはまること。②生物の形態、習性などの形質が、その環境で生活、繁殖するのに適合していること、或はそう判断できること。」とあります。

 この概念を人間に当てはめてみますと、「人間には自然良能(自己治癒力)があり、病者は自らのうちに病を癒し、健康を取り返していく力を持っている。」というヒポクラテスの言葉となります。例えば表1のように、外界の変化に適合していくため、免疫、自律神経、ホルモン系等の複雑な働きによって、人間の身体は見事にその調和を保っています(ホメオスタシス)。

 それなのに、今、何故こんなに病人が多いのでしょうか? 私は、その原因の大本が、マスコミ等によるマインドコントロールに依存しきり、自立できなくなり、さらには宇宙の営みと融け合う自律も出来なくなってしまっているという現代人の適応能力の問題だと思います。自然の一部であることをないがしろにしてきた現代人は、科学文化技術の進歩による冷暖房機器などで自然環境をコントロールし、情報管理社会の中で、過度に心身を自己制御することでこの世界に適応しようとしてきました。しかし、道具や機器類にあまりに依存し過ぎたり自然界から遊離した身体は、逆に本来の適応能力を退化させることになってしまいました。現代文明、文化の時代に必要なことは、命の本質を理解し、人間としての適応能力を鍛える条件をできるだけ多く残していくことではないかと思われます。



4.癒しと自己治癒力

 ここでは、「癒し」の意味と「自己治癒力」について、さらに深めていきたいと思います。

■「癒し」の意味
 私たちは日常、「病気が治る」、「病気を治す」とか、「病を癒す」、「病が癒える」、「人が癒される」という表現を使っています。そこで、まず「治」と「癒」の意味について考えてみます。

 「治」について『広辞苑』では「治す=直す」で、「病気や怪我を治療する」とあります。そして「治療」については、「病気や怪我をなおすこと、また、そのために施す種々のてだて」とあります。また、『漢和大辞典』では、解字での意味をふまえて、「手を加えて、病気をなおす、またなおる」とあります。以上のことから「治す」とは、医療関係者が、原因が確かな病態に対して、主体的な行為(外科手術、薬物投与、鍼灸治療など)を施すことにより、患者さんのアンバランスを調整し、回復させる時の表現と考えられます。

 一方、「癒」について、『広辞苑』では、「病気や傷をなおす。飢えや心の悩みなどを解消する」とあります。また、『漢和大辞典』では、解字から「病気や心配の種がくりぬいたように、抜き取られ、心が気持ちよくなること」とあります。以上から「癒す」とは原因の有無、医療関係者の行為の有無に関係なく患者さん自身の命・存在への自己発見、気づき等によって引き起こされる現象だということが考えられます。それは医療者の行為が、病を持つ者と共に存在している状態です。さらに、人という存在を越えた意識、動物(イルカ、クジラ、犬)や植物、さらには鉱物とも、共に存在している状態でもあります。

 このような「癒し」のきっかけは、ふとした「出会い」や「会話」などの日常の生活の中で、真の愛と理解に基づく「本当の暖かさ」を感じる時や、「場」に包まれたときに、自己の内部から湧き出るような感謝の気づきや自覚を通して引き起こされます。そしてこの過程が、病人の持つアンバランスを調整し、回復していく働きをもたらせます。従って患者さんは、「癒し」という過程において、「治療」によるよりも、はるかに病という事実をしっかり自覚、認識でき、病が治癒に導かれていくプロセスも、しっかり歩み切ることが可能となります。それは、「生命本質への目覚め」から種々の気づき、成長が伴ってくるからです。従って「癒し」というのは、非常に深いレベルでの「自己治癒力の活性化」とも言えます。

 上のことを踏まえて、もう少し具体的に考えてみます。

1.「治す」
 人間は、様々な環境の中で生活し、かつ、多くの関係性の中に生きている存在でありますが、病院や治療院の中では、身体の一部のみを病気ととらえたり、浅いレベル、初期の段階、緊急の事態などを医療、治療の対象としています。このような身体一部の改善や、急性病の症状消失によって、前の状態に戻る時、「治す」行為から「治る」、「治った」と表現できます。

2.「癒す」
 「症状」というものは、自らの世界を守るための自然摂理の現れで、「自己治癒力発動現象」と考えられます。もちろん、この裏には、病を通じての「自己成長」が含まれております。従って先ほど述べましたように、「真の愛と理解に基づく暖かさ、安心感」から、人の存在を超え、「宇宙意識」、「人間」、「自己」への信頼、つまり「つながり」を癒しの基本に据えて、「自己」「周囲の環境」や「医療」などに対してつくっていた患者の(あるいは医療者自身も含めた)「とらわれ」「こわばり」「こだわり」が解けていくことが、「癒す」と表現できます。ですから、症状を「敵」、「悪」、「恐ろしきもの」などと見なして、押え込む姿勢ではありません。それには、自己治癒力に対する正しい理解が不可欠となります。以上から、重症、慢性症、難病などの治療には、「癒し」という言葉を用いることが出来ます。

 次回は「1.自己治癒力 2.人間の存在の見方(魂の成長)と健康観」です。

以上は、石原克己著『伝統医学のこれから 第1巻』(たにぐち書店)の「第1章 健康と病について」を修正・加筆しております。

■東京九鍼研究会問い合わせ
E-mail:Tokyo9shin.@yahoo.co.jp

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