週刊あはきワールドへようこそ! 2011年7月6日号 No.239

難問奇答集  其の六十七


脹の治療で補瀉はどうする?

〈奇答師〉神麹斎

【難問】  

『霊枢』脹論で、前に「無問虚実、工在疾写」というのに、篇末では「必審其診、当写則写、当補則補」というのは矛盾ではないのか?

【奇答】
 『霊枢』脹論というのはそのそも妙な文章だと思います。まず府蔵の脹というものがあることになっている。それなのに、脹は血脈の中にあるのか、府蔵の内にあるのか、などと問うている。しかも、答えとしては、どちらとも言えるけれど、脹の舎っているところ自体はどちらでもなくて、胸腹の内に五蔵六府を押しのけるようにして存在している、と言う。さらに営気に関わるものは脈脹であり、衛気に関わるものは膚脹であるなどとも言う。そして、治療はとにかく速やかに瀉すことが大事であって、その対象は三里穴であり、虚実などかまうことはないと言う。

 それなのに、五蔵六府の脹を挙げて症状を説明した後では、虚していれば補い、実していれば瀉すのが、良工というものだと言っている。何のことやらさっぱり分からない。確かに前後矛盾している。

 その秘密は篇末の「黄帝問岐伯曰:《脹論》言曰」にありそうです。顧観光の『校記』には、「脹論の二字は誤りであって、当に夫子に作るべきである」などと言うけれど、それはこの一篇がもともと一つであったという固定観念によるものであって、取るに足りない。「黄帝問于岐伯曰」の直前に「帝曰善」と言うのも、篇末の文章が後から付け加えられたものである証拠の一つです。篇末の段の首に言う「脹論」とはつまり、この篇の前の段落のことであり、もともとはそれだけでまとまったものであった名残です。いや、前段それ自体にも幾層かがあるかも知れない。

 篇末でも、三里を瀉せという至上命令は健在です。それどころか前段では一度で上手くいかなければ三度でも瀉せと言い、篇末では三度に限ることもないと言う。とにかく気が下るまで躊躇うことなく処置すべきだと。それなのに最後には「必ずその診を審らかにして、瀉すべきものは瀉し、補うべきものは補う」と言う。あるいは理論を重視する人々、経脈の虚実を診て、それを補瀉するという治療の原則を確立したいグループ、つまり『霊枢』の編者あるいはその前輩が付け加えたのではないかと思う。とにかく速やかに瀉せ、というのは実践派のアドバイスです。病状の虚実を気にかけて躊躇するよりも、患者の体力に不安がなければ、取りあえず瀉してみて良いんじゃないですかね。

このコーナーでは、古典鍼灸医学に関する難問を募集します。応募された中から奇答に値すると神麹斎氏が判断した場合に限り、その難問を採用させていただきます。なお、採用された難問に対する奇答はこのコーナーで発表させていただきます。また、不採用となりました難問への回答はできかねますので、あらかじめご了承ください。「これは?」という難問をお待ちしていますので、奮ってご応募ください。

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