『霊枢』禁服篇に「嚢満して約することなし」とか、「満することなくしてこれを約す」とかありますね、「約」ってどういうことでしょうか。それと、「満しないのに約してしまうようでは、工になれても、天下の師にはなれない」とありますが、工って普通は良い意味じゃなかったですか?
『霊枢』禁服篇の冒頭には、「臂をさいて血をすする」盟などということが述べてありますが、そういうことは文化史的には興味深いけれど、医術にはあまり関係がない。学問を受け継ぐのには敬虔であれ、ということを否定するわけじゃないですよ。でも、当事者があまりぎょうぎょうしく言うのはみっともない。
それよりは「嚢が満ちても約することなければ漏れ出してしまう」のほうが、他のあらゆる修行についてもそうでしょうが、医術の習得についても参考になるところがありそうです。いくら知識を詰め込んでも、それを統合し整理して、自在に運用できるようにしなければならない、というくらいの意味に理解したい。無論、知識を取り入れることは必要なんですよ。
さらに面白いのは、雷公は満していないけれども約したいと言い、黄帝にそれでは工つまり良医にはなれても天下の師にはなれないとたしなめられ、それでもなお工になりたいと言うところです。『太素』楊上善の注では、きちんと診法を完成させて約するものは長生久視を得るが、診法が未だ不十分であっても、節して行うことができれば、国師くらいはつとまると言っているようです。雷公は自分の材(素質)の程度を認識して工を目標とするといい、黄帝はそれを是認して話を続けています。考えてみれば、自らの長生久視(まあ、不老長寿というようなこと)よりも、早く工になって人の病を救いたいと言うのは、それはそれで天晴れな覚悟ではないですか。あながち貶めるべき態度でもないと思いますよ。だから、黄帝の態度だってそうでしょう。「満しないで約する」ことについての話をちゃんと続けています。それにそもそも、医を学ぶものは上工をめざしているのであって、仙人になろうとしているのではないはずです。
森立之の息子の名は、これに因んでいるんじゃないかと思います。「約之」、結構、格好いい名前だったんですね。
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