週刊あはきワールドへようこそ! 2012年1月4日号 No.263

難問奇答集  其の七十八


動じて止まない脈

〈奇答師〉神麹斎

【難問】  

『霊枢』動輸篇に、「手の太陰、足の少陰、陽明は独り動じて休まず」とありますね。手の太陰のいわゆる寸口の脈は確かに顕著な脈動ですし、だから脈診の見どころになっているわけでしょうが、足の少陰と陽明はどういうことなんでしょう。

【奇答】
 十二経脈のうち手太陰、足少陰、足陽明の動だけが休まない。脈の診処として常用できるほどの脈動が三箇所あるというのが事実であって、それによって何かを知ることができるという虚構を考え出す。

 手の太陰は、脈口とか寸口とかあるいは気口とか呼ばれる、現在の常識的な脈の診処である。足の陽明は頚の人迎。はじめは陰の状況を診るのが脈口で、陽の状況を診るのが人迎、という二つの独立した脈診法だったと思うが、かなり早い時期に陰陽論を利用して、両者の関係から全身の状況を判断する方法となった。

 そうすると、もう一つ残った足少陰は何か。動輸篇では、「足の少陰は何によって動ずるのか」と問われて、ただちに「衝脈は、十二経の海である」と応じている。腎の下に起こって、気街に出、陰股の内廉を下って、斜めに膝裏に入り、脛骨の内廉をめぐって、内踝の後に入り、足下に入り、その別れは踝に入り、跗上に出る。つまり、診るべき脈動は足甲の跗陽の脈であろう。現在は臨床に応用する人は少ないようだが、かつての第三の脈処であったに違いない。また、脈口部の関尺の間を神門の脈と名づけて、死生を決する重要なポイントとしているグループもある。これもかつてあった方法の復活である。寸口、人迎あるいは跗陽の脈、使って有効であれば使えば良い。だけど、本来は脈が診やすいという現実があったり、陰陽論の応用であったりする。別段、神授の妙法というわけではない。使いにくければ別に方法を工夫する必要もあるだろうし、もとへもどしてみたって良い。例えば神門では診にくければ、跗陽の脈を診れば良いし、それでも不安だったら臍の下に掌を当てて、腎間の動を候えば良い。本意は今言うところの腹大動脈がまともに機能しているかどうか、だったはずじゃないか。社会習慣的に診やすいところを求めて関尺の間に移動したんだろうから、技術的な困難を避けて臍下へもどる。

このコーナーでは、古典鍼灸医学に関する難問を募集します。応募された中から奇答に値すると神麹斎氏が判断した場合に限り、その難問を採用させていただきます。なお、採用された難問に対する奇答はこのコーナーで発表させていただきます。また、不採用となりました難問への回答はできかねますので、あらかじめご了承ください。「これは?」という難問をお待ちしていますので、奮ってご応募ください。

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