週刊あはきワールドへようこそ! 2013年1月9日号 No.311

つぼつぼ散歩 第8回:Ⅰ 要穴の章・その1


「要穴」のはなし

-甲- 

つぼマニア 浦山玖蔵

 あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。

 今回から、やっと本編の「要穴の章」が始まる。気持ちも新たに、さまざまな「つぼ」のマニアックでトリビア的なお話をしてみようと思う。とりあえず、今回から、「要穴」の歴史と定義およびエトセトラのウンチクをかましていくとしよう。

1.「つぼ」の分類

 教科書的には、すべての「つぼ」概念を「腧穴(しゅけつ)」あるいは「孔穴(こうけつ)」と呼ぶことになっている。ここでは「腧穴」という言葉が「取穴」と紛らわしいうえに意味が多様すぎるので、とりあえず、「つぼ」あるいは「孔穴」と呼ぶことにしたい。

 「つぼ(孔穴)」には、大きく分けて3種類あることになっている。それは「経穴(十四経穴)」と「奇穴(経外奇穴)」、および「阿是穴(天応穴)」であり、主たる「つぼ」はそのうちの「経穴(けいけつ)」と呼ばれるものであることは、鍼灸師なら知らない者はいないだろう。

 このシリーズで扱う「つぼ」は、主としてこの「経穴(広義)」についてであるが、「経穴」以外の「つぼ」、すなわち「奇穴(新穴を含む)」や「阿是穴」については、ケースバイケースで必要に応じて言及する程度にとどめたい。

1)穴位分類法と穴属分類法
 さて、広義の「経穴」とは、「『十四経発揮』を出典とする、任脉・督脉を含む14経脉のいずれかに所属する孔穴」という意味の「十四経穴」という言葉の略称でしかない。もし、「経穴」が「つぼ」全般の意味を指すとすれば、「十四経穴」といえば「14個の経穴(つぼ)」という意味になってしまうので、「つぼ」全般の意味で「経穴」と呼ぶことは混乱のもとである。

 なお、従来、日本で行われていた「経穴」の数(354穴)とその種類、およびその所属経絡と順序は『十四経発揮』に基づくものであったが、順序以外は『銅人腧穴鍼灸図経』が根拠となっている。また、現行のWHO標準経穴は『類経図翼』と『鍼灸大成』から補ったもので、結果的には『鍼灸逢源』と同じ形式になっている。

 ちなみに、狭義の「経穴」とは、五行穴の「経金穴・経火穴」のことである。

 広義の「経穴」を大きく分類するに当たっては所属経脉別に分類されることが多いが、文献的には『甲乙』巻三のように、部位別に分類されたのが最初であり、349穴(双穴300、単穴49)の全体を頭・背・面・耳・頸・肩・胸・腹・手・足の10区分に分類し、さらに35篇に細分している。『甲乙』の引用元である『明堂孔穴』も同様の形式であったかは確認のしようがないが、原則として、巻七~巻十二に収録されている病証ごとの経穴は、全て巻三に登場する順番どおりに編集されていることは事実である。この編修スタイルをすでに『明堂孔穴』が行っていたと考えるか、『甲乙』に至って再構築されたと考えるかは、意見の分かれるところである。

 いずれにしても、『甲乙』では、すべての孔穴が完全に十四経穴に所属していたわけではないので、まだ「経穴」と呼ぶには語弊がある。したがって、全穴を所属経絡別に編集することは不可能であるため、当初から部位別に編集していたと考えるほうが合理的であろう。

 名前がないと不便であるので、このように体表区分別に分類する方法を「“穴位”分類法」と呼ぶことにしたい。

 また、所属経脉別の分類法にも長い歴史と多くのバリエーションがあるが、『十四経発揮』が登場するに及んで、一応の決着を見ることになる。この分類法に対しては「“穴属”分類法」と仮称しておくことにする。

2)穴能分類法と穴性分類法
 しかし、穴位分類法や穴属分類法だけでは、臨床的にはもの足りないものがある。できれば、重要度別、あるいは使用頻度別や機能別(用途別)に分類できていたほうが便利である。

 そこで、真っ先に思い当たるのが、『甲乙』などに記載されている多くの主治病証に基づいて分類する方法である。時代を経るごとに少しずつ各穴の主治病証の種類が追加され、特に金元鍼灸の時代には多く追加されているが、数が多いせいか、歴史的には、主治の内容や種類による全面的な分類法は、案外、試みられた形跡は見当たらない。共通する主治を部分的に組み合わせるというような手法は、すでに『千金方』などでも試みられてはいるが、それによって全面的に分類・整理するという発想にまでは発展しなかったようである。実態はないものの、このような分類法についても、「つぼの古典的効能」という意味で「“穴能”分類法」とでも命名しておこう。

 現代中医学においては、臨床的ニーズに応えるために1980年代から「穴性」理論を背景にした分類法が発展し始めたが、今世紀に至っても定説と呼べるだけの十分な成果が上がっているとは言いがたい状況である。この「穴性」によって分類する方法を「“穴性”分類法」と呼んでおくことにする。

 穴性理論も、もとはといえば、現代中医学復興の父である承淡安(1899-1957)や、その同志ともいうべき羅兆琚(1895-1945)らによる、主に金元鍼灸における主治および配穴の研究に端を発し、その継承者たる王楽亭(1895-1984)や孫震寰(1920-1971)などを経て、肖少卿や高立山らによって普及した概念であると思われる。特に『鍼灸心悟』(孫震寰・高立山・高峰編著、人民衛生出版社1985年刊)の影響は大きい。この書は「陰・陽・気・血・虚・実・寒・熱」の8種類の「穴性」によって分類されている。「穴性」という用語そのものも、本書を以て市民権を得たものと考えられる。

 しかしながら、穴性理論自体も、経絡治療の主導者の一人である竹山晋一郎(1900-1969)が提唱した「証と症」を分離するという思想の影響下に醸成された可能性は否定できない。

3)穴効分類法と穴霊分類法
 また、伝統的には、『難経』六十八難が、

 出(い)づる所を
と為し、流るる所を(えい)と為し、注(そそ)ぐ所を(しゅ)と為し、行(めぐ)る所をと為し、入(い)る所をと為す。

 井は
心下満を主(つかさど)り、滎は身熱を主り、兪は体重節痛を主り、経は喘欬寒熱を主り、合は逆気して泄らすを主る。此れ五蔵六府、其の井・滎・兪・経・合の病を主る所なり。

というように、いわゆる「五行穴(現代中医学では五輸穴という)」に対する主治を概括する分類法があるが、このような基礎的古典医学文献に由来し、穴名と所属経絡(経脉交会を含む)以外で分類された概念に対しては、「“穴効”分類法」と仮称しておくことにする。つまり、「つぼの効果による分類」という意味である。

 この「“穴効”分類法」に該当するものには、いわゆる①五行穴(五輸穴)・②五要穴(原穴・絡穴・郄穴・募穴・兪穴)、および③下合穴、④標本穴・根結穴、⑤水輸穴・熱輸穴(まとめて「水熱穴」と呼ばれる)などがあり、さらには⑥八会穴や⑦八総穴(八脉交会穴)などが含まれるが、現代中医学では「水熱穴」以外のものをまとめて「特定要穴」または「特定穴」と呼ばれている。

 似通った概念に日本の「要穴」があるが、日本の場合には④標本穴・根結穴、⑤水輸穴・熱輸穴は含まれず、代わりに⑧四総穴が加わることが多い。なお、原理的には「水熱穴」は穴性分類法に近いとも考えられるが、『素問』水熱穴論篇に由来して、経絡治療に始まる現代の「証」概念(中医学のそれを含む)とは一線を画するために、あえて「穴効」分類法の範疇に入れておくことにする。

 他にも、ちょっと変わった分類法を紹介しよう。それはおそらく竇黙の『鍼灸標幽賦』に始まるものと思われるが、それ以前には全く存在しなかったとは言い切れないものでもあり、潜在的には存在が疑われるものの、顕在化させた人物として竇黙を挙げるべきものである。その『鍼灸標幽賦』には、

 二陵二蹻二交は、続きて五大に交はるに似(に)、
 両間
両商両井は、相い依りて両支に列す。

という一文があり、穴名の持つ言葉の共通したイメージから効能を連想する、いわば穴名の類似性による分類法の萌芽がみられるのである。歴史的には、これらの諸穴の同定にはさまざまな解釈があるが、とりあえず、独断と偏見による考証の結果として、

 二陵{陰陵泉・陽陵泉}二蹻{照海・申脈}二交{交信・交儀}は、続きて五大{太衝・太白・太渓・大鍾・大陵}に交はるに似、
 
両間{二間・三間}両商{商少・商陽}両井{天井・肩井}は、相い依りて両支{支正・支溝}に列す。

という個人的な結論に至ったことだけを付け加えておくことにする。

 このような穴名の言語的イメージを膨らませ、あるいは類似性に着目することで、本来持っている主治とは無関係に、経穴の効能を導き出そうとする発想から生まれ得る分類法を、「穴名の言霊(ことだま)」という意味で「“穴霊”分類法」と呼ぶことにしたい。この穴霊分類法は、客観的に解析するならば単なるオカルト志向の結果に過ぎないが、古代中国に起因する音韻学および訓詁学と儒教オカルトの根深い伝統文化との結びつきに端を発しつつ、日本固有のオカルト文化である言霊思想と融合するなかで、現代日本でも根強い支持があるため、肯定するにも、否定するにも、腰を据えて掛からねばならない重要な案件を内包しており、軽々に扱うべきではない。その臨床的な利用価値はともかくとして、穴性理論も金元鍼灸を基礎としている以上、「穴霊」の呪縛から完全に解放されているわけではないことは、理解しておく必要があろう。

 なお、便宜上は「“穴名”分類法」も存在する。これは穴名による索引などに常に使用されているので、特に言及する必要はないと思われる。

4)穴徴分類法
 ただし、これらは、あくまで文献上に出現する「つぼ(孔穴)」の分類法であり、実際に臨床上でも存在すると信じられている「つぼ(反応点)」とは本質的に異なるものである。もちろん、たとえ文献上の「つぼ(孔穴)」であっても、人体上でシミュレートしたときに特定の部位を指し示すことができなければ、それは解釈のほうに問題があるか、あるいは文献として不完全な状態で伝承されてきたことを意味するもので、臨床を視野に入れた研究の俎上に載せることはできない。

 もし、古典文献を臨床応用することになれば、やはり、実際の人体における体表上の反応部位とのすり合わせ、もしくは「瀬踏み」をして、その部位が臨床上の効果を示す可能性があるか、あるいは害を及ぼす可能性があるかなどを検証する必要が出てくるはずである。

 この「体表上の反応」は、①手指感覚で皮膚に軽く触れて探る場合もあれば、②軟部組織や筋肉中の硬結を指頭で圧迫して確認する場合、③視覚的な反応部位や④皮膚上の電気抵抗などを機械的に探知したり、⑤皮膚温の変化した部分を画像で探し出すなどの、およそ鍼灸に効果的な部位を探り出そうという行為によって導き出されたものである。したがって、「つぼ(反応点)」を押さえること、あるいはその部位を探り当てようとする行為自体と、古典文献に記載された「つぼ(孔穴)」とは、論理的・客観的には、なんの直接的な関係もないはずである。

 たとえば、『霊枢』背腧篇には「背部兪穴」について、

 皆な脊を挟みて相ひ去ること三寸の所なれば、則ち得て之を験(けみ)せんと欲すれば、其の処を按じて、応ずること中に在りて痛みの解ければ、乃ち其の腧なり。

とあるが、「押して痛みが軽減するところが“其の腧”である」という記述は、基礎的医学古典においてはこれ以外には存在しない。つまり、「背部兪穴」以外では手指で圧迫して「つぼ」を取ることは行われていなかったことを物語っているのである。

 また、同じく経筋篇には、有名な、

 治は燔鍼劫刺に在り。知るを以て数と為し、痛を以て輸と為す

という文があるが、これは俗に言われるように「圧痛が“輸”である」という意味ではあり得ない。なぜなら、「痛」には「圧す」意味が含まれていないからである。「自発痛」や「運動時痛」ならば「痛」に当たるだろうが、圧さなければ痛まないのであれば、それはここでいう「痛」には当てはめようがない。

 経筋篇の病証は原則として「痺病」であり、風・寒・湿の外邪によって引き起こされる神経痛様の諸症状を意味するものであったと考えられる。たとえ、このような病態で「圧痛」が生じていたとしても、この文章を「圧痛=つぼ」という意味で解釈される可能性は皆無なのである。後にこれを竇黙(1196-1280)が『竇太師鍼経』のなかで、

 天応穴は、遍身の疼痛処に在るは是の穴なり。但だ痛処のみ、左右の穴道の上に就きて、鍼を臥せて之を刺して瀉す。若し青腫痠疼・麻木不仁・冷痛等の証は、灸する者は、或いは三、或いは七を補ふ。紅光腫痛すれば、宜しく三稜鍼もて血を出だすこと妙なるべし。

といい、これを「天応穴」または「不定穴」と呼んで、「燔鍼劫刺」によらない治療法を確立した。

 なお、『備急千金要方(1057)』には、

 凡そ人、呉蜀の地に遊官すれば、体上の常に三両処を須(もと)めて之に灸す。瘡をして暫(しばら)く差(い)やしむる勿(な)ければ、則ち瘴癘・温瘧・毒気の人に著わす能はざるなり。故に呉蜀は灸法を行ふこと多くして、阿是の法有リ。言ふこころは、人に病痛有れば、即ち其の上を捏ねしめ、若し其の処に当たれば、孔穴を問はずして、即ち便ち痛処を快成するを得れば、即ち「阿(ああ)是れなり」と云へり。灸刺して皆な験あるが故に、「阿是穴」と曰ふなり。

とある。これが「阿是穴」の出典であるが、北宋期の大幅な改変を経ていない古い形態を保存する『孫真人千金方』ではこの条文が存在していないため、『備急千金要方』が成立した時点で新たに竄入されたものであることが分かる。

 このように、「背部兪穴」を唯一の例外とすれば、原『霊枢』が成立して鍼灸や孔穴の文化が盛んになる紀元後から『備急千金要方』が成立するまでの約1000年間は、手指による体表圧迫によって取穴されることはなかったといってよい。さらに、「阿是穴」の概念が出現した11世紀中葉以降であっても、「背部兪穴」と「阿是穴」以外での手指による体表圧迫の方法で取穴されることは、原則としてなかったと考えるべきではなかろうか。

 したがって、取穴法が存在する「経穴」や「奇穴」では、原則として、術者の手指感覚や圧痛などを根拠に取穴されることは論理的にはあり得ず、もし、術者の感覚や圧痛によって取穴された場合には、たとえその部位がたまたま「経穴」や「奇穴」と同一の部位だったとしても、「つぼ(孔穴)」の分類の定義からすれば「阿是穴」以外の何物でもないということがお解りいただけるだろう。つまり、「背部兪穴」を除く「経穴」と「奇穴」は、本来、「つぼ(反応点)」とは無関係だったことになるのである。

 この何の関係もないはずの2つの事象を、古典文献の内容自体が、遠い過去の臨床応用の記録かもしれないという可能性に賭けて、臨床実験を経ずに、一足飛びに臨床応用してしまうことには、当然のことながら何らかの抵抗があってしかるべきであるが、伝統鍼灸系の臨床家(経絡治療や伝統系現代中医針灸)は、すでに半世紀以上に渡って臨床実践を続けてきてしまっており、「症例」という形で実績も積み上げられてきているのが目下の現実ではある。

 この半世紀の間、特に日本の鍼灸業界では、その臨床実践を事実上裏付けてきた要素の1つとして、特に手指感覚を中心とした「体表上の反応」と古典文献の取穴法とのすり合わせ、あるいは「経穴(奇穴も含む)」と「阿是穴」のすり替えが起こっていたはずである。逆にいえば、「つぼ(反応点)」を優先的に重要視し、古典文献の取穴法を形骸化させたことによって、古典文献の正しい解釈に基づいた臨床実験を経てから臨床応用するという方法論を自ら否定してきたのである。このことは今現在に至っても大きな変化はない。

 また、現代中医学でも、「阿是穴」化された近代日本の経穴文献をほとんどそのまま輸入し、あたかも古い時代から伝承されてきたかのように偽装して自国の経穴文化とし、国際標準化までしてしまったがゆえに、本来は近代日本のオリジナルであった「阿是穴」化された経穴部位を古代中国の資料から後出しで裏付けようとするという滑稽な状況に気が付かずにいるか、または気が付かない振りを装っているか、していることになるのである。

 いずれにしても、現状において「つぼ」を分類しようとする場合には、この「体表上の反応」抜きには考えられない現状であることはご理解いただけよう。このような「体表上の反応」によって分類する方法を「“穴徴”分類法」と名付けたい。

 これは、金元時代に新たに構築された「薬性(張元素の『潔沽薬性賦』に由来)」という分類概念に対して、江戸中期の古方派の巨人・吉益東洞が『傷寒論』研究と親試実験によって再構築された薬物の効能による分類概念を駆使して著わした『薬徴(1785)』にあやかった仮称である。

 ちなみに、手指感覚による「穴徴」のみを「真の経穴」とか「生きた経穴」という呼び方をされる臨床家もいらっしゃるが、臨床上の効果はともかくとして、学理としての「経穴学(または腧穴学・孔穴学)」の立場からすれば、定義の違いというごく初歩的な誤りを犯していると言わざるを得ず、臨床学的な立場からしても、WHO標準やいずれかの古典文献に基づいた取穴法による「経穴」と、この穴徴分類法に基づいた反応点とを、なんらかのランダム化比較試験によってその効果を検証しないままで結論を出そうとするのは、いささか早計に過ぎるといわざるを得ないのである。

5)分類法の分類
 以上のような論考に基づけば、古典文献に記述される「つぼ」の分類法には、①“穴位”分類法、②“穴属”分類法、③“穴能”分類法、④“穴効”分類法、⑤“穴性”分類法、⑥“穴霊”分類法の6種類に分類でき、さらに体表上の反応による⑦“穴徴”分類法を加えることで、「つぼ」の要素としても、これら都合7種類のアプローチが可能であることが分かる。また、索引機能としての⑧“穴名”分類法も従来から活用されている。

 このように、さまざまな分類概念によって「つぼ」を多角的に分析することで、利用目的を明確にし、データベースから必要な「つぼ」情報を整理して取り出しやすくすることが可能となる。「穴位」や「穴属」は従来どおりの分類法であり、ある意味でやり尽くされてもいるので、このシリーズでは臨床を意識しつつ、古典文献を基礎とした分類法を試みたい。

 しかしながら、前述したとおり「穴能」は分類方法が確立しておらず、「穴性」では現代中医学に限定されてしまい、「穴霊」も根拠が希薄な上にオカルトに偏り過ぎるきらいがある。したがって、今回は、残った穴効分類法による区分を基礎とし、この分類から外れるものを、「穴属」のうちの、特に奇経八脉を含む「交会穴」を中心にまとめ、さらに単独経脉にのみ所属する経穴を「一般穴」として穴位分類法によって整理してみる予定である。

2.「要穴」について

1)「要穴」の起源
 『新版 経絡経穴概論』(教科書執筆小委員会 編、医道の日本社2011年刊) における≪第1章 経絡・経穴の基礎 ⇒ 4.経穴の概要 ⇒ 5)要穴の概略≫には、

 要穴には、五要穴、五行穴、四総穴、八会穴、八脈交会穴(八総穴・八宗穴)、交会穴、下合穴がある。

という。ここにいう「要穴」も穴効分類法によって分類されたものではあるが、その定義については、これらの分類が妥当であるという根拠も、出典さえも全く示されておらず、曖昧なままに漫然と使用されているに過ぎない。まさに学校教育がこの体たらくでは、日本には「経穴学(腧穴学・孔穴学)」が存在していないも同然である。鍼灸臨床の中核となるべき概念である「つぼ」に、学術的根拠が存在しないのであれば、結局のところ、日本の伝統鍼灸に学術的根拠があるといえるのだろうか。

 そこで、「要穴」という用語の歴史をひもとき、現在一般的に使用されているいわゆる「要穴」とどのような関係にあるかを明らかにし、改めて「要穴」の定義と種類について検証し、日本の「つぼ学」の構築のための一助としたいと考えている。

 さて、劉宋(420-479、六朝時代)の陳 延之の撰になる『小品方(しょうひんぽう)』全12巻は、日本でも、唐の法令に倣った「大宝律令」や「延喜式」などで、医術を学ぶものの必読書とされていたが、長らく佚書とされ、『外台秘要方』や『医心方』などに断片的な佚文が引用されるだけであった。しかし、近年、北里大学東洋医学研究所医史学研究部長の小曾戸 洋 博士が、「経方小品」と題された残巻(序文・目次、巻一)を発見し、これが『小品方』そのものであることを明らかにした。1巻のみの発見ではあるが、それが巻一であったために序文や目次も含まれていたことから、その枠組みに従って各書に引用される佚文を収集することで、本書の詳しい内容が明らかになってきたのである。

 その内容は、巻一では用薬法と脹満病の処方、巻二~四は風病・虚労・霍乱・黄病などの処方、巻五は処方論・剤型論、巻六は傷寒と寒熱病の処方、巻七は婦人病と産科の処方、巻八は小児病の処方、巻九・十は救急法などの処方、巻十一は本草から成っているが、巻十二では「灸法要穴」というタイトルでもっぱら灸法を扱っており、諸書(特に『医心方』)に引用される『小品方』の灸法条文を集めることで、その内容も推測し得るのである。この「灸法要穴」こそが、「要穴」という用語の初出と考えられるのである。

 次いで古い用例は、『千金翼方』巻二十六・婦人の、

 崩中帯下は、産むに因りて悪露止まず。中極穴は、関元の下一寸に在りて、婦人断緒の最要穴にして、四度(たび)針すれば、即ち子有り。

や、あるいは『外台秘要方』巻六・霍乱雑灸法が引用する『救急方』第一巻の、

  又た、霍乱転筋して止らず、漸(ようや)く腹に入らんと欲するを療す。凡そ転筋は、能く人を殺せども、起死の法、灸に過ぐる無し。

 灸法:唯だ三処の
要穴のみ。第一に承筋穴は、腨腸の下際に在り。

 取穴法︰縄を以て脚心従り下りて脚踵に至るを度り、便ち截断して度とすれば、則ち此の度を迴して、脚踵従り縦に量りて上に向け、度の頭を尽くして、腨の下際、宛宛たる中に当たるは是の穴なり、灸すること三七壮なれば、則ち定めり。


である。また、『太素』巻二十二・五節刺の楊上善注に、

 大杼・内輸は、皆な是れ足の太陽脉の気の発する所にして、陽気を冩するの要穴なり。

および、巻二十九・脹論の楊上善注にも、

 以下、営衛の二気、脹を為すを謂ふ。営気は脉を循り、腹郭を周りて脹を為すは、名づけて「脉脹」と為す。衛気は脉外に在りて、傍らの脉、分肉の間を循り、気を聚めて分肉に排して腫を為すは、称して「膚脹」と為す。三里は以て脹の要穴と為すが故に、虚実を問はずして、皆な須(すべから)く之を冩す。…

とあり、『素問』刺熱論篇の王冰注にも、

 『鍼経』の指す所の五十九刺の若きは、則ち殊に此の経と同じからず。俱に熱病の要穴を治すると雖ども、然るに合用の理、全く向背す。猶ほ病候形証を以て経法に応ずる所に当たるがごとければ、即ち証かす所に随ひて之を刺す。

とある。

 これらの用例からは「要穴」が、「(特定の症状または病態を治療するための)主要または重要な孔穴」という程度の意味であることが共通して窺われる。したがって、実質的には「主治穴を臨床的に処方したもの」、すなわち「要穴=処方穴」ということになろう。

 以上のように、「要穴」の原義は「特定の症状・病態に対する主要穴・重要穴」の意味であり、長らく実質的には「処方穴」の概念で使用されていたことが窺われるのである。

 いっぽう日本においても、鎌倉後期の医家・惟宗時俊が、作者不詳の『要穴之抄』という伝承文献に新たな病証と主治を補充した『続添要穴集(1293)』という灸法を中心とする処方集を編んでいるが、現存するのは全2巻 178篇のうち、序文と第1~30篇までである。これは、中国の古い時代の「要穴」の用例を承ける形で編纂されていることが分かる。

2)「要穴」の展開
 『医学入門(1575)』内集‧卷一(鍼灸)の「治病要穴」に至って、経穴全体から都合90穴を選別して「要穴」とし、各穴の主治を略記する方式が始まった。『医学入門』はWHO標準経穴と比べて「急脈」「中枢」がなく、「羊矢」が加わって、全360穴とするが、そのなかから1/4に当たる90穴を選別して「要穴」としたわけである。

 以下、その部位ごとの穴名を列挙する。

部 位 『医学入門』治病要穴(90穴)
頭面部
(9穴)
百会・上星・神庭・通天・脳空・翳風・率谷・風池・頬車
胸腹部
(15穴)
膻中・巨闕・上脘・中脘・水分・神闕・気海・関元・中極・天枢・章門・乳根・日月・大赫・
帯脈
背腰部
(19穴)
大杼・神道・至陽・命門・長強・風門・肺兪・膈兪・肝兪・胆兪・脾兪・胃兪・三焦兪・
腎兪・大腸兪・小腸兪・膀胱兪・譩譆・意舍
手部
(21穴)
肩井・肩髃・曲池・手三里・合谷・三間・二間・支正・陽谷・腕骨・後渓・少沢・間使・
内関・大陵・労宮・中渚・神門・少衝・列欠・少商
足部
(26穴)
環跳・風市・陽陵泉・懸鍾・足三里・豊隆・内庭・委中・承山・飛揚・崑崙・金門・申脈・
血海・陰陵泉・三陰交・公孫・太衝・行間・大敦・隠白・築賓・照海・太渓・然谷・湧泉

 このように、個別の主治病証に関わらずに、経穴全体から「主要穴・重要穴」を選別して「要穴」としたものは、その後の中国の鍼灸古典文献においては『類経図翼(1624)』のほかには見当たらない。

 『類経図翼』十四経鍼灸要穴歌では、『医学入門』の穴位分類法とは違って穴属分類法によっているが、経穴の選別は以下のようである。(青字は『医学入門』治病要穴と重複する経穴を示す)

所属経絡 『類経図翼』十四経鍼灸要穴歌(正穴116穴)
手太陰肺経
(6穴)
尺沢・列欠・経渠・太淵・魚際・少商
手陽明大腸経
(9穴)
商陽・二間三間合谷・陽渓・(手)三里曲池肩髃・迎香
足陽明胃経
(13穴)
頭維・頬車・地倉・伏兎・陰市・(足)三里・上巨虚・下巨虚・解渓・衝陽・
陥谷・
内庭・厲兌
足太陰脾経
(7穴)
隠白・大都・太白・公孫・商丘・(三)陰交陰陵泉
手少陰心経
(6穴)
少海・霊道・通里・神門・少府・少衝
手太陽小腸経
(7穴)
少沢・前谷・後渓腕骨陽谷・小海・聴宮
足太陽膀胱経
(13穴)
睛明・攅竹・絡却・肺兪膈兪肝兪腎兪・膏肓・委中承山崑崙金門
申脈
足少陰腎経
(6穴)
湧泉然谷太渓照海・復溜・陰谷
手厥陰心包絡
(6穴)
曲沢・間使内関大陵労宮・中衝
手少陽三焦経
(9穴)
液門・中渚・陽池・外関・支溝・天井・角孫・糸竹空・耳門
足少陽胆経
(13穴)
聴会・(頭)臨泣・目窓・風池肩井帯脈環跳陽陵泉・陽輔・丘墟・
(足)臨泣・侠渓・竅陰
足厥陰肝経
(7穴)
大敦行間太衝・中封・曲泉・章門・期門
督脉
(7穴)
水溝・上星百会・風府・瘂門・大杼・腰兪
任脉
(7穴)
関元気海神闕水分中脘膻中・承漿

 こちらは、主治病証は記載されておらず、同書所収の「諸証灸法要穴」に収録されている諸穴とは必ずしも一致するものではないことから、この「十四経鍼灸要穴歌」は張介賓自身が全経穴(WHO標準から中枢穴を除いた360穴)から選別したものと考えられる。重複する数が半数に満たないため、直接には『医学入門』の当該部分を引用しているとは考えにくいが、用語の使用法や発想においては通底するものがある。これを偶然と考えることもできるが、偶然ではないと考えれば、「十四経鍼灸要穴歌」が「治病要穴」の90穴から57穴を選別し、新たに59穴を加えたことになる。

 しかしながら、次の2つの事例と比較検討してみると、とても偶然であるとは考えにくくなるのである。

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