週刊あはきワールドへようこそ! 2013年2月20日号 No.317

つぼつぼ散歩 第11回:Ⅰ 要穴の章・その4


「要穴」のはなし

-丁- 

つぼマニア 浦山玖蔵

 日本で発達した独自の「要穴」文化は、現代中医鍼灸に逆輸入されて「常用穴」という形でかろうじて生き残ったが、近代日本の鍼灸教科書からは消え去った。それに取って代った「要穴」こそ、我々に馴染みのものだったのである。しかし、そのルーツは実は、……。

5.現代日本鍼灸の「要穴」

1) 現代日本の「要穴」の起源―その1―
 最新版の統一学校テキストである『新版 経絡経穴概論』(教科書執筆小委員会 編、医道の日本社2011年第1版第3刷発行)における「第1章 経絡・経穴の基礎 > 4.経穴の概要 > 5)要穴の概略」には、
  •  要穴には、五要穴、五行穴、四総穴、八会穴、八脈交会穴(八総穴・八宗穴)、交会穴、下合穴がある。
というが、その定義についても、これらの分類が妥当であるという根拠も、出典さえも全く示されておらず、曖昧なまま使用されている。特に、歴史的な用語としての「要穴」には全く注意が払われておらず、教科書編集チームの配慮の無さは非常に残念である。調べてみると、統一テキストができる以前から、すでに歴史的な用語解説や出典が記載された例が見当たらないことから、ひとり今回の教科書編集チームの責任ではなく、学術的スタンスを欠いている状況は、むしろ斯界の伝統ですらあると言えるのかもしれない。鍼灸業界において学術的経穴教育がいかにおざなりにされてきたかを考えると、呆れるばかりである。

 近代日本において、「要穴」という用語を、初めて近代的概念のもとに使い始めたのは、おそらく、戦前の古典鍼灸家である澤田健(さわだ・けん;1877-1939)であろう。それ以前の使用例は管見に入らなかった。

 『沢田流聞書・鍼灸真髄』(代田文誌著、医道の日本社、1995年第19版;1941年初版発行。以下『鍼灸真髄』)などによれば、澤田健は河内の人で、新海流柔術の奥義を修めてプサン(韓国)で接骨院「呑気堂」を開業していた武術家であったが、『十四経発揮』『鍼灸抜萃大成』『和漢三才図会』『鍼灸経穴学(松元四郎平)』などに触れ、多く柔術の急所と経穴とが一致することを発見し、独学で鍼灸を研究すること20余年にして帰国し、大正11年(1922)に東京の自宅にて鍼灸治療室「呑気堂」を開業し、城一格・代田文誌ら多くの優れた門人を輩出したという。調べてみると龍野潘(兵庫県姫路付近)に「新階流」という柔術の流派があったらしいので、おそらくこの系統と思われる。

 代田文誌(1900-1974)の『鍼灸治療基礎学』(医道の日本社、1983年増補改訂版;1940年初版発行)の「第四章 経穴の主治の記載に就て」には「一、要穴選択の必要」というタイトルの一節がある。その文章中には「要穴」の語こそないが、
  •  この解説に於いては、経穴の全部につきて一々の主治を記さず、特に必要なりと信ずる穴につきてのみ主治を記すのは左の理由によるものである。
という一文があり、「要穴」とは「特に必要なりと信ずる穴」という意味であることが分かる。また、前述の『鍼灸真髄』の「一、第一回見学筆記:沢田流の要穴」の項には「身柱・肝兪・脾兪・三焦兪・腎兪・次髎・中脘・気海・陽池・曲池・足三里・太渓・心兪・手三里・孔最・二間・臑兪・筋縮・肺兪・陽陵泉・膏肓・騎竹馬」の22穴(奇穴1名を含む)が列挙されており、沢田流においては、実質的にこれらの諸穴のことを「要穴」といっていたことが看取されるのであるが、これらには「沢田流太極療法」に使用される経穴のほとんどを含んでいる。

 したがって、澤田健(若しくは代田文誌)によって、歴史上初めて使用された「要穴」とは「必要穴」あるいは「主要穴」という伝統的な意味であったが、実質的には「沢田流太極療法」に使用される「主要穴」でしかなかったことになる。

2)現代日本の「要穴」の起源―その2―
 では、教科書的な「要穴」が定義されたのはいつごろからであろうか。

 医学博士・駒井一雄が主宰する東邦医学会の「第5回東邦医学会夏期講習会」が行われたのは昭和16年(1941)7月25~29日の京都府立医科大学であったが、その講義科目の中には柳谷素霊(1906-1959)の「古典鍼灸術の研究方法」(柳谷素霊選集刊行会編『柳谷素霊選集・上』所収、績文堂出版、2006年刊)がある。そこには、
  •  まず我々の日常使用している穴、所謂要穴からお話を進めて参ろうと存います。順序としてまず要穴の所在を述べ、次にそれぞれについての参考を示してこれに対する拙見を申述べようと存じます。
とあり、6陰経の「五兪穴」、十二経の「郄穴」、「十五絡穴」、「八会穴」、「四総穴」の都合5種類の「要穴」について、それぞれ部位・筋肉・血管・神経・主治症を表にまとめている。「日常使用している穴」と断りながらも、実質的には現在使用されているところの「要穴」の意味に近いニュアンスであることが認識されるのである。

 また、これとは別に『鍼灸医術の門』(柳谷素霊著、医道の日本社、1948年刊)の「第十一節 治穴配合の法則及臓腑取穴法」には、
  •  又穴を取るには、次掲の「五行要穴」を知らねばならぬ、木火土金水にそれゞゝ臓腑が配当されている。
とあって、本間祥白(1904-1962)の考案による、六臓六腑における五行とその相生・相尅関系、ならびに各五行穴・原穴・郄穴・絡穴・募穴・兪穴とを図解した「五行要穴図」、および「十二原穴・郄穴・絡穴・募穴・兪穴(十二経の五行穴・五要穴および任脉の絡・督脉の絡・脾の大絡の表)」「治穴配合の法則(『難経』補瀉法の4方式の表)」「臓腑虚実補穴瀉穴表」を転載し、五行穴・原穴・郄穴・絡穴・募穴・兪穴・八会穴・十五絡穴について解説した後、
  •  以上述べし他に、足の太陰と任脉との交脉穴下脘、足の太陽と督脉との交脉穴百会、督脉と足太陽との交脉穴風門、手足の三陽と督脉との交脉穴大椎、足の三陰との交脉穴三陰交、足の三陰と任脉との交脉穴関元、足の陽明・手の太陽と任脉との交脉穴上脘、足の少陽と陽維脉との交脉穴風池、足の少陽と帯脉との交脉穴帯脉など凡そ七十余穴は、また疾病反応の著明にあらわれる穴所となす。
ともいう。

 あるいは、『誰にでもわかる経絡治療講話』(本間祥白著、医道の日本社、1949年刊)にも、「五行穴経穴表」というタイトルで前掲書の「十二原穴・郄穴・絡穴・募穴・兪穴」と同様の表を載せ、
  •  要穴と言うのは各経に存する臨床的に同類の経穴で、正確が相共通しているものです。しかも臨床価値の高いものだけが挙げられています。各経にある五行穴なる井、榮、兪、経、合、原穴郄穴絡穴募穴兪穴等であり、…
という。また、「各経に共有しない要穴」と称して、「八会穴」と「四総穴」を挙げている。

 以上のことから、現在の日本で一般的に使用されている「要穴」という用語は、柳谷素霊や本間祥白らの経絡治療の創始者たちに使用されることによって普及したものであることは明らかである。

 しかしながら、この「要穴」の使用例は柳谷素霊のオリジナルとは言い難い。李氏朝鮮・許俊(ほ・じゅん)の『東医宝鑑(1613)』鍼灸巻・臓腑要穴には、
  •  五蔵の腧二十五穴、六府の腧三十六穴、并びに巨虚の上・下廉、共に六十四腧にして、実に、切要の穴なり。蔵府に病有れば、此の六十四穴、皆な之を主る。其の太淵・太陵・太衝・太白・太渓を五蔵の原と為し、其の三里・巨虚の上下廉・委中・委陽・陽陵泉を六府の合と為す。又た切要中の切要にして、医の最も当に先んずべき所の者なり。【蔵兪二十五、府兪三十六、合して六十一兪と為し、委陽・上廉・下廉を加へて、是れを六十四兪と為すなり。】
とあり、『霊枢』九鍼十二原篇と本輸篇の内容に基づいて、心経を除いたいわゆる「五行穴(陽経は原穴を含む)」の61穴に、手の「下合穴」の3穴を加えた、合計64穴を「臓腑の要穴」と定義していたことが分かる。

 柳谷素霊ら、「経絡治療」の創始者たちが、朝鮮半島の伝統鍼灸に対してどの程度の知識があり、どの程度の影響を受けていたかは不明であるが、「舎岩鍼法」という、朝鮮半島固有の伝統鍼灸の存在が「経絡治療」とよく似ていることを考え合わせれば、極めて興味深い符合であることは間違いない。

3)現代日本の「要穴」の起源―その3―
 用語の定義やその普及に繋がるものとして重要な要素となるものに鍼灸学校の教科書がある。いつの時点で「要穴」が教科書に採用されたかが明確になれば、その普及の状況も類推できよう。

 現段階で確認できた最も古い資料は、やはり柳谷素霊の『初学より合格まで 鍼灸医学全書(経穴学)』(東洋鍼灸専門学校出版部、1940年刊)であった。本書巻末の「第七章 経穴運用の法則 > 第3節 要穴なるもの」には、①「十二原穴」、②「兪穴」、③「募穴」、④「五臓六腑の兪(井栄兪経合原穴)」、⑤「郄穴」、⑥「八会穴」、⑦「十五絡穴」、⑧「瀉穴補穴」の八種類が挙げられている。ちなみに、「瀉穴補穴」とは『難経』六十九難の母子補瀉法における「瀉穴」と「補穴」のことである。

 以上のことから、少なくとも1940年の教科書には、すでに「要穴」の用語とともに現在も使用されるような概念の状態で掲載されており、それ以後も連綿と継承されていることが理解できる。しかしながら、この概念を確立・普及させたのは初期「経絡治療」の中心人物であった柳谷素霊・本間祥白らであったこと、そしてその初出が『東医宝鑑』であることなどは、現在の教科書の中には全く欠落しているため、あたかも『素問』『霊枢』などの古典文献から千古不易と使用されてきた普遍的な概念であるかのように記述されてしまっていることには、強い疑念と危惧を抱かざるを得ないのである。

 ちなみに、現代中医学では、近年、日本でいう「要穴」のことを「特定穴」と呼び慣わし始めている。現在、管見に入るところの最古の用例は、前述の『鍼灸学(1975)』における「特定要穴」に始まる。これが、『鍼灸腧穴学』(楊甲三主編、人民衛生出版社1986年刊)などを経て一般化したものと思われる。

6.再び「つぼ」の分類

 さて、ここで「要穴」の話はひとまず措いて、改めて「つぼ」全般の分類についてお話をしておこうと思う。前述した(第8回)「つぼ」分類法でいえば、「穴効」分類法と命名した分類法のカテゴリに属するものについてである。

 現在の日本の鍼灸教科書では、すべての「つぼ」概念を「腧穴(しゅけつ)」あるいは「孔穴(こうけつ)」と呼ぶことになっているが、このシリーズで扱う「つぼ」は、主として「経穴(けいけつ;広義)」についてである。広義の「経穴」とは、『十四経発揮』(本書の所属経脉の配当は、『金蘭循経取穴図解』を経て『銅人腧穴鍼灸図経』に遡る)を出典とする、任脉・督脉を含む14経脉に所属する孔穴という意味の「十四経穴」という言葉の略称でしかない。もし、「経穴」が「つぼ」一般の意味であるとすれば、「十四経穴」といえば「14個の経穴(つぼ)」という意味でしかなくなってしまうので、「つぼ」一般の意味で「経穴(広義)」と呼ぶことは混乱のもとである。

 ちなみに、狭義の「経穴」とは五行穴の「経金穴・経火穴」のことである。広義の「経穴」が実際に用語として登場するのは、明・劉純の『医経小学(1388)』や同じく徐鳳の『鍼灸大全(1439)』からであるので、『霊枢』の時代から存在する狭義の「経穴」とは、用語としての格に雲泥の差がある。

 また、広義の「経穴」以外の腧穴には「奇穴(新穴を含む)」や「阿是穴」があるが、とりあえず、これらについては必要に応じてその都度扱うこととする。

1) 経穴(広義)
 「十四経穴」の略称で、「奇穴」に対して「正穴」とも呼ばれる。十二経脉および任脉・督脉に所属する腧穴(孔穴)のことであり、本来、「経穴」といえば狭義の経穴である五輸穴(五行穴;井・滎・兪・経・合)の「経水穴・経火穴」のことを意味したが、明代初期ごろから「十四経穴(または十二経穴)」の略称として使われ始めた。

 それらはおのおの一定の部位と主治病証を持つが、各時代や文献によってその数は一定ではない。『鍼灸甲乙経』および『黄帝明堂経』、ならびに『備急千金要方』所引の『勅修明堂』や『千金翼方』所引の『甄権明堂人形図』は349穴、『外台秘要方』鍼灸巻は357穴、『銅人腧穴鍼灸図経』などは354穴で、『鍼灸資生経』は365穴である。

 『鍼灸逢源』(清・李学川、1817)だけが361穴でWHO経穴と数と種類が一致する(部位は一致しないものもある)。『鍼灸逢源』の経穴数は、明・靳賢の『鍼灸大成(1601)』の359穴と同じく張介賓の『類経図翼(1624)』の358穴を足し合わせたものである。

2)奇穴
 十四経脉に所属しないという意味で「経外奇穴」とも呼ばれる。一定の取穴法と主治病証を持つ、経穴ではない孔穴のことであるが、体表はもちろん、人体のすべては必ずいずれかの経絡系統と関連しているため、いかなる奇穴(経外奇穴)であろうとも、経絡系統と無関係ではありえない。奇穴は、一定の取穴法と主治病証を持たない「阿是穴」、あるいは陥下・硬結・皮電点・トリガーポイントなどの反応点とは区別される。

A.(伝統的)奇穴:1900年以前に定められた経穴以外の腧穴で、部位あるいは取穴法と主治が定まっているものをいう。なかには、「竹丈灸」「四花灸」など、儀式的な取穴法によるため、取穴部位が解剖学的に必ずしも一定でない奇穴(動的奇穴)も含まれる。

B.新穴:1901年以後に発見・提唱され、部位的に安定し、その効果も一定の評価を受けた奇穴を「新穴」と呼ぶことがある。中国で頻用されることが多く、数百とも数千とも言われるが、日本でも常用される新穴で有名なものはそう多くはない。

3)阿是穴
 唐・孫思邈の『備急千金要方(1066改訂)』巻二十九灸例第六には、
  •  阿是の法有り。言ふこころは、人に病痛有れば、即ち其の上を捏(こ)ねしめ、若し裏に其の処に当たれば、孔穴なるやを問はず、即ち便快にして痛みを成すの処を得れば、即ち「(ああ)れなり」と云ふ。刺灸して皆な験あるが故に、阿是穴と曰ふ。
とあり、これが命名の由来である。上記のように、いわゆる「圧痛点」を指していう概念ではあるが、WHOなどでは「経穴」や「奇穴」以外のすべての「治療点」や「診断点」を含む、広い解釈をしている。

 いっぽう、『霊枢』経筋篇に「痛を以て輸と為す」とあるように、伝統的には自発痛や運動痛のある部位を治療穴としたものであり、『竇太師鍼経』や『医学綱目』では「天応穴」、『鍼灸玉龍経』では「不定穴」ともいって、「阿是穴」とは、本来、区別されるべきものである。厳密には圧痛の有無を確認する必要がないため、「阿是穴(圧痛点)」とは完全に同じものとはいえないのである。

 また、「皮電点」や「トリガーポイント」など、近年に発見・提唱されている阿是穴に類似する反応点はもちろん、「陥下」や「硬結」などの体表上の反応を捉える取穴法は、たとえ、結果的にその部位が経穴上に位置していたとしても、取穴法からすれば、すべてWHOが分類・定義するところの「阿是穴」とみなすべきであろう。

4)要穴(特定穴)
 これまで説明してきたとおり、今日、一般に使用されている「要穴」は、概念としては『東医宝鑑』に始まり、経絡治療の創始者のひとりである柳谷素霊らが提唱・普及したものである。本来の伝統的な「要穴」は、「主要・重要な経穴」という意味であり、実質的には「処方穴」を意味していた。

 また、現代中医学では一般経穴に対して、特殊な機能を持つとされる経穴を「特定穴」と呼ぶ。これは日本でいう「要穴」の中国語訳であったが、独自に整理されて学術的な発展を遂げている。

 現在、日本と中国で使用されている「要穴」および「特定穴」を整理してみると、およそ以下のようになる。

A.(背)(しゅ):①『霊枢』背輸篇に登場する胸中大腧・肺腧・心腧・膈腧・肝腧・脾腧・腎腧の7穴のこと。②『素問』血気形志編では、両乳間の1/4を1辺とする正三角形の頂点を「大椎」に当て、その三角形の底辺の両端を「肺兪」に、同様の動作を底辺の中央に当てて繰り返し、その底辺の両端を「心兪」、3回目の三角形の底辺は左端「肝兪」・右端「脾兪」、4回目の三角形の底辺の両端を「腎兪」とする。ただし、『太素』および『医心方』所引の『素問』は、3回目の三角形において左端「脾兪」・右端「肝兪」とする。③『脉経』巻三で初めて心包・三焦を除く五臓五腑の背兪穴の名称(一部に部位の記載を欠く)が出揃う。④『甲乙』巻三で初めて「三焦兪」が登場する。⑤『太素』の楊上善注には「心包の背兪穴」として「大杼」を主張するが、それを継承する古典はない。⑥『鍼灸聚英』で初めて「心包の背兪穴」として「厥陰兪」が主張される。⑦代田文誌の『鍼灸治療基礎学』において臓腑の所属から経絡の所属に変更され、臓腑と経絡が混同された状態で現在に至る。⑧背兪穴はすべて「大椎」と「第一椎」の位置によって部位が決まるが、その解釈をめぐっては多くの異説があり、例えば「大椎=第一椎(第7頸椎)説(代田・丸山説)」、「大椎=第4頸椎説(戸田説)」、「大椎=第5頸椎説(足立説)」、「大椎=第2頸椎説(木戸説)」などがある。⑨WHO標準は日本の歴代の学校教科書とそれらに由来すると思われる中国・韓国の国家標準経穴に従って「大椎=第7頸椎/第一椎=第1胸椎説(岡本説→松元説)」を採用した。

B.募穴:①『脉経』巻三で初めて五臓五腑の募穴の部位と名称が登場する。②『甲乙』巻三においてはじめて「石門、三焦募也」が登場する。③『太素』楊注に初めて「心包の募穴」として「膻中」が登場するが、それ以外の古典文献には心包の募穴は存在せず「膻中」は「気会」でしかなかった。④幕末の考証学者森立之の『素問攷注』(1864成立)には、「募」字は「幕(=膜)」の誤写であり、体腔内の膜状組織を意味するという説を提唱し、幕末から明治初期にかけては通説となりつつあったが、その後、伝統医学そのものが廃れて行く中で忘れられた。⑤代田文誌は「膻中が心包経の募穴であるとの主張は、私の創説であって、既に昭和十年頃からこれを主張し、昭和十五年に刊行した『鍼灸治療基礎学』第一版においてこれを述べている」といい、『太素』の記述を全く知らないまま、再び「膻中」が「心包経の募穴」であるとした。戦後の一時期、中医学においてもこの説を採用する動きが見られたが、1980年代以降は採用されていない。

C.原穴:①『霊枢』九鍼十二原篇に登場する「太淵・大陵・太衝・太白・太渓・鳩尾(膏之原)・気海(肓之原)」の7穴のこと。②『霊枢』本輸篇には、陽経のみに「○○に過ぐ。○○は…原と為す」という形式で「京骨・丘墟・衝陽・陽池・腕骨・合谷」の6穴が記載される(本輸篇では陰経に原穴がない)。③『難経』六十六難においてはじめて現在知られている六臓六腑の原穴が出揃うが、この時点では大陵を「心の原」、神門を「少陰の原」と言うに止まる。④『千金方』は『甄権鍼経』に基づき、六陰経の原穴を「太淵→列欠;大陵→内関;神門→通里;太白→公孫;太衝→中封(足厥陰の経穴は中都。ただし、『外台』巻三十九では原穴を中都、経穴を中封とする);太渓→水泉」に変更した。⑤『銅人腧穴鍼灸図経』になって『甲乙』の形式に戻されるが、陰経の原穴の記載はないままである。⑥柳谷素霊らによって初めて陰経の原穴と兪木穴を併記するようになって今日に至る。

D.五行穴(五輸穴):①『霊枢』九鍼十二原篇に「五蔵の五腧は、五五、二十五腧。六府の六腧は、六六、三十六腧。経脉の十二・絡脉の十五、凡そ二十七気、以て上下す。出づる所を井と為し、溜(なが)るる所を滎(えい)と為し、注(そそ)ぐ所を腧(しゅ)と為し、行(めぐ)る所を経と為し、入(い)る所を合と為す。二十七気の行る所、皆な五腧に在るなり」とあり、部位と名称も『霊枢』に始まるが、『太素』は「腧(しゅ)」を「輸(しゅ)」字に作る。『太素』のほうがより古体を表わしていることが多い。②『霊枢』順気一日分為四時篇には「→井・→滎・→輸・長夏→経・→合」という世界観があった。③現在の五行穴の五行特性は『難経』六十三~六十五難および七十四難に始まるが、これは②のシステムを一つずらし、「干合説(後述)」によって陰経と陽経の五行を分けたものである。④五行穴の主治は『難経』六十八難に始まる。

 a.井穴:陰経は井木穴、陽経は井金穴。井は「心下満」を主る。
 b.滎穴:陰経は滎火穴、陽経は滎水穴。滎は「身熱」を主る。
 c.輸穴:陰経は兪土穴、陽経は兪木穴。輸は「体重節痛」を主る。
 d.経穴(狭義):陰経は経金穴、陽経は経火穴。経は「喘欬寒熱」を主る。
 e.合穴:陰経は合水穴、陽経は合土穴。合は「逆気而泄(逆気して泄す)」を主る。

E.郄穴:①「郄」字は「郤」の俗字であるので、本来は「郤」と書くべきであるが、中国医学ではなぜか(中国でも)伝統的に俗字が通用している。「郤」字は「隙・却」などに通じ、「すき間・曲がる・引き返す」などの意味がある。②『霊枢』では「(腠理の)キメの溝が(引き締まって)深くなる」という意味で1例あり、『素問』では「郄中(委中の別名)」の意味でしか出てこない。穴や脉に関連する後代の解釈としては「脉が折れ曲がって走行する場所」や「関節の隙間」などが多い。③「郄穴」は『甲乙』巻三に初めて「府舍(足太陰)・孔最(手太陰)・郄門(手心主)・手少陰郄(手少陰)・温溜(手陽明)・会宗(手少陽)・養老(手太陽)・地機(足太陰)・中都(足厥陰)・水泉(足少陰)・交信(陰蹻脉)・築賓(陰維脉)・梁丘(足陽明)・外丘(足少陽)・陽交(陽維脉)・金門(足太陽)・附陽(陽蹻脉)」の17穴が登場する。④代田文誌は『鍼灸治療基礎学』で初めて、澤田建の言として、郄穴が「急性病」に適しているという主張をした。それ以前は、古典文献も含め個々の主治病証があるだけで、郄穴の主治について共通する認識は特に存在しなかった。⑤柳谷素霊は『甲乙』以来の伝統である17穴の郄穴のうち十二経のみを採用する。⑥現代中医鍼灸では「府舎」を除く16穴を「十六郄穴」とする。⑦現代中医鍼灸では、各経脉の循行経路で、肘・膝以下の皮膚や筋肉の動きが大きく、経気が比較的深部にある部位であると認識されている。作用としては陰経の郄穴は「血証」を主治し、陽経の郄穴は「形気両傷病(痛みと腫れ)」を主治する(李鼎の説)とされ、各書で「表裏郄配穴法」「募郄配穴法」「郄会配穴法」などが提唱されている。

F.絡穴:①『霊枢』経脉篇には「別脉」として、「列欠(手太陰)・内関(手心主)・通里(手少陰)・公孫(足太陰)・蠡溝(足厥陰)・大鍾(足少陰)・偏歴(手陽明)・外関(手少陽)・支正(手太陽)・豊隆(足陽明)・光明(足少陽)・飛揚(足太陽)・鳩尾(任脉)・長強(督脉)・大包(脾の大絡)」の15穴が記載される。②『霊枢』邪気蔵府病形篇には「候は足太陽の外の大絡に在り。大絡は太陽・少陽の間に在り。亦た脉を見れば委陽に取る」とあって、委陽から出る膀胱経の外側の脉を「足太陽の外の大絡(俗に足の三焦経)」と呼び、逆順肥痩篇には「夫れ衝脉なる者は、五蔵六府の海なり。…其の下る者は、少陰の大絡に注ぎ、気街に至る」とあって衝脉の一部(解剖学的には腎動脈分岐部から鼠径動脈付近)を「少陰の大絡」と呼ぶ。③『素問』平人気象論篇に「胃の大絡、名づけて虚里と曰ふ」とあるため、これに基づいて張介賓の『類経図翼』が左の乳根穴を「胃の大絡」として加え「十六大絡」とした。④『甲乙経』巻三では『霊枢』経脉篇の記述を踏まえて、新たに「上窌(「髎」字と同じ。足太陽・少陽の絡→太陰・厥陰・少陽の結する所)・臑会(手陽明の絡)・会陰(任脉の別絡)・臂臑(手陽明絡の会)・漏谷(足太陰の絡)・懸鍾(足三陽の絡)」の6穴を加えた。更に後代の一時期の経穴書には「次窌(足太陽・陽明の結する所)・中窌(足厥陰・少陰の結する所)・下窌(足太陰・少陰の結する所)」も加わるが、これらは次第に忘れられていった。⑤『鍼灸大成』(1601年成立)以降「(表裏)原絡配穴法」が提唱され、現在も応用されている。⑥本間祥白は臨床経験上、絡穴は「慢性病」に適するとした。⑦現代中医鍼灸では、絡穴に共通する作用としては特に定説はないが、皮部や経筋に対して「気血の不栄、または阻滞が生じた場合に有効」とする説が比較的有力である。

G.下合穴:①『霊枢』本輸篇・邪気蔵府病形篇などに記載される。足三陽の合穴と「上巨虚(手陽明)・下巨虚(手太陽)・委陽(手少陽)」を合わせて言う。臨床的には募穴と組み合わされることが比較的多いとされる。②『東医宝鑑』は陰経では原穴を、陽経では下合穴を重要視していた。③木戸正雄は『霊枢』根結篇由来の頸入穴の圧痛を診断基準とし、下合穴との相対的位置関係の類似性をヒントに「VAMFIT(変動経絡検索法)」を開発した。その主たる治療点が下合穴である。

H.八会穴:①『難経』四十五難に「府会は大倉(中脘)、蔵会は季脇(章門)、筋会は陽陵泉、髄会は絶骨(懸鍾または陽輔)、血会は鬲兪(膈兪)、骨会は大杼、脉会は大淵(太淵)、気会は三焦の外一筋にして両乳の内に直たる(膻中)なり。熱病 内に在る者は、其の会の気穴を取るなり」とある。②現代中医学では「郄会配穴法」と呼ばれる急性症状に対する処方があるが、主たる提唱者の名前は知られておらず、処方構成も一定ではない。例えば、喘息の発作に「孔最(手太陰郄)・膻中(気会)」、喀血に「孔最(手太陰郄)・膈兪(血会)」、急性の胃痛に「梁丘(足陽明郄)・中脘(腑会)」、落枕に「養老(手太陽郄)・懸鐘(髄会)」、崩漏に「地機(足太陰郄)・膈兪(血会)」などがあり、圧痛が顕著であることを主な目安とする。

I.八脉交会穴(八総穴):①金の竇黙によって提唱されたもので、奇経に関連するとされる。列欠(任脉)と照海(陰蹻脉)で呼吸器・泌尿器疾患、後渓(督脉)と申脈(陽蹻脉)で目内眥・耳・頸肩・腰背部疾患、内関(陰維脉)と公孫(衝脉)で循環器・消化器疾患、外関(陽維脉)と足臨泣(帯脉)で耳・目外眥・側頭部・側頸部・肩部・側胸部疾患を主治するとされる。②『鍼灸大全』巻四・八法主治病証では、①の各穴を主穴として多くの病証に対する処方配穴(公孫31証・内関25証・足臨泣24証・外関36証・後渓14証・申脈24証・照海29証・列欠33証)を収録する。

J.その他:①現代中医鍼灸の取穴学においては、『霊枢』根結篇・標本篇に基づく「根結穴」や「標本」も「特定穴」に含まれることが多い。②『素問』刺熱論篇や刺腰痛篇・水熱穴論篇・繆刺論篇などには上記以外の特定経穴に言及しており、場合によってはこれらも「要穴(特定穴)」の一種とみなすことができる。

5)「交会穴」および「一般経穴」
 「交会穴」とは、2経以上の経脉(奇経及絡脉を含む)が交会する経穴で、100穴前後、存在するとされる。

 いっぽう、「一般経穴」とは、「要穴」でも「交会穴」でもない経穴のことで、古典では「○○脉の気の発する所」と表現されることが多い。「要穴」や「交会穴」の定義の仕方によって変化するが、およそ90~120穴あるとされる。

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