週刊あはきワールドへようこそ! 2013年10月23・30日合併号 No.350

『難経』私考 その11


結代の脈と臓気の衰退

欅鍼灸院 名越礼子

11難は大いに疑問

 11難は、結代の脈が現れた場合の臓気の衰退との関係を述べています。つまり、脈拍の停止は臓気の衰退による、というものです。脈拍が50回に満たないうちに一回止まるなら、腎気が尽きたものである、というのですが、その理由として、腎には納気を主る働きがあるのに、腎気が不足して、気を腎まで引き下ろすことができず、肝のところで戻ってしまうからだ、としているのです。

 しかし、50回に満たないうちに一回止まる、というのは、一体どの段階で止まることをいっているのか、大いに疑問のあるところです。

50回の説は『霊枢』にもある

 この50回の説も、人の営気が一昼夜で全身を50回循環し、五臓の精気を充足させているということに基づいています。これは『霊枢』根結篇にあります。

 一日一夜五十営から、脈の五十動に飛躍しているのです。すなわち、「50回拍動して一回も結代がなければ、五臓はみな気を受けている。40回で一回結代するものは、一つの臓気がなくなっており、30回で一回結代するなら、二つの臓気がなくなっており、20回で一回結代するなら、三つの臓気がなくなっており、10回に一回結代するなら、四つの臓気がなくなっており、10回に満たないうちに結代するなら、五臓に気がなくなっている」というものです。ここでは、どの臓の気が衰退するのかは明記されていません。

50回の説は現実には受け入れにくい

 営気が一昼夜に50回循環するということと、脈の50回とはどういう関係なのでしょうか?『霊枢』根結篇では、ただ五十営に五十動という数字を合わせているだけなのです。

 そもそも、呼吸と脈の関係からいって、4難によると、吸入には心と肺が係わり、中脘で一拍して、呼出には肝と腎が係わる、というものですから、吸入の力が腎まで到達しないことが腎気が尽きたことの理由にするなら、五拍で止まることになるのではないでしょうか。

 実際の脈診でも、50拍も診なくても結代は出るものであり、脈拍が50回に満たないうちに一回止まるとか、40回で一回結代する、などということは、現実には受け入れにくいものです。 

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