週刊あはきワールド 2017年12月27日・2018年1月3日合併号 No.551

夢の轍を歩きながら 第4回

死と再生の詩―ナターシャ・グジー

 冬香 


 
 同じ戯曲や歌が、演じる俳優や歌手によって全く違う芝居や歌のように生まれ変わることはしばしば経験します。落語や歌舞伎といった伝統芸能が好きな方なら同じ落語や歌舞伎が噺家や歌舞伎役者によって味わいが変わり、「昔の噺家の方が良かったな」、「助六は十五代片岡仁左衛門に限るわな」などと新旧の比較をすることは大きな楽しみとなるでしょう。

 私事に渉り恐縮ですが、今年の7月に母親を見送りました。6年間で4回の転倒を起こし、両下肢の大腿骨を骨折したのですが、最初の転倒入院時に認知症を発症し、徘徊と転倒を繰り返すうちにベッド中心の生活になりました。

 5月頃、経口での食物摂取を拒むようになると、やがて水分も介助して飲ませるとむせるようになりました。むせがない時でも、1時間も経つと胸の辺りでゼロゼロと痰の音が響き、血中酸素濃度が70%を割ることが増えたため、頻回に吸引をする必要ができました。吸引は原則としてヘルパーさんは行うことができず、訪問看護師か家族しかできません。鼻や口から挿入されるチューブに苦しそうに表情を浮かべる母を見ながら吸引をするのですが、焦るとかえって気道を傷つけてしまい、チューブの中が真っ赤になることもありました。既に意味のある会話はできなくなって久しく、声を出すこともままならなくなっていましたが、それでも時折、「おかあさん」とかすれる声で呼ぶ声がするのです。「お母さん、トンコだよ、ここにいるよ」と語りかけても呼ぶ声は止まりません。夢うつつの中で、72年前に原爆で失った家族と会っていたのでしょうか。

 その日は午後から強い雨が断続的に降る日でした。お昼頃に広島の府中市から訪ねてこられた古い女性の友人は母と同様、片目に義眼を入れた方でした。血のつながりもないのに、辛い幼少期を過ぎしてこられたこの友人を母は家族同様に大切にしていました。

 女性がお帰りになってしばらくすると、激しい雷鳴とともに雨音が強くなりました。たたき付けるような音に驚き、外に出てみると、玄関先でずぶ濡れになった男性が大きな百合の花束を抱えて立っていました。私には見覚えがない方だったのですが、伺ってみると母が中学生で広島郊外に住んでいた頃、隣家で母に一緒に遊んでもらったという男性でした。

 「おねえさん、元気になってね」、そう言って男性は我が家を後にしました。母が息を引き取ったのはその二時間後でした。

 母が骨に還る日の朝は、とても晴れていました。窓から射し込む朝陽の強さと空の青さに驚いていると、ふと「いつも何度でも」を聴きたくなりました。映画「千と千尋のものがたり」で有名な曲ですが、私が想い出したのは原曲ではなく、ウクライナ人歌手のナターシャ・グジーさんが歌う「いつも何度でも」でした。
 

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