週刊あはきワールド 2015年8月12日号 No.437

◎◎はこう治す! 私の鍼灸治療法とその症例 File.17-1

難治性疼痛疾患に挑む(その1)

~新薬登場で鍼灸患者は減るか?~

TOMOTOMO(友と共に学ぶ東西医療研修の会)代表 石川家明 


 痛みをどのように取るか? それは、太古から人類の願いであり、祈りの対象であったに違いない。農業や狩猟などの生活にともなって受ける傷やケガの痛みから、歯痛、頭痛、胸痛、腹痛、腰痛、関節痛等々の折々の病気時にともなう痛みまで、そして時としては命の終焉にともなう痛みに日々怯え戦っていたはずなのだ。痛みは、古来ほぼ病と同義であり病気シグナルの中核をなすものであった。

鍼灸治療を喧伝してくれた鍼麻酔ブーム

 痛みに鍼灸が著効すると世界に大々的に喧伝してくれたのが、鍼灸史としてみても1970年代に起きた鍼麻酔ブームであった。空前の鍼麻酔ブームは、世界の生理学者をして鍼麻酔や鍼治療効果の研究に向かわせた。あのゲートコントロールセオリーを提唱したメルザックとウォールが鍼麻酔鎮痛の研究に着手した事実からも、どれだけの影響力であったか想像できることと思う。当時の『週刊医事新報』にも「鍼は痛みへの刺激ばかりではなく、世界の研究も刺激した」との刺激的なタイトルがつけられて掲載され、疼痛治療としての鍼灸療法が紹介されていた時代であった。

 当時の鍼灸業界も刺激を受けたが、患者への啓蒙にも大いに力を発揮した。このブームに乗り遅れまいと町の中の鍼灸院の軒下や看板の端に「中国ばり」などと書き加える現象が散見されるようになった。マスコミで大騒ぎしている「鍼麻酔」はうちで行われている「はりきゅう業のことですよ」と提示する必要があったのだろう。

 当時の鍼灸師会青年部の間では「ビル開業」という憧れの言葉があったのも、同時代の雰囲気として紹介しておきたい。多くの鍼灸院は自宅の畳の上で施術する方が多く、今のように店舗で開業するのが少なかった時代であった。その時に、疼痛治療としての鍼灸が公式に世間に認知され始めたのである。今日からは到底考えられない空前の鍼灸ブームがその時に起こったのだった。

「置針」が広まったのはいつからか

 ところがそんな恩恵がありながらも、痛みを上手に治せない鍼灸院から患者さんが流れる現象が起きてきた。難治性の痛みはもちろんのこと、日常病の痛みである腰痛や坐骨神経痛、膝・肩の関節痛などの患者も、親しくなると患者自身から、ここが何軒目と鍼灸院ショッピングしていることを正直に教えてくれるようになった。治療法を詳しく聞くと、痛み治療としての置針と鎮痛効果の必要条件である軽い鍼の響きを、得ていないやり方がほとんどであった。

 当時の鍼治療法の主流は韓国ドラマ「チャングム」などでも見られるように「速刺速抜」の技法であり、「置針」治療法をしている術者はまだ少数派であった。鍼をしばらく打ったままで留めて置くという発想そのものがなかったようであった。現に小院が開業した頃、町には500メートル以内に11軒ほどが開業していたが(今では3軒しか残っていない)、当時「置針」治療をしていたのは小院だけかと思われる。

 ところが、周りの鍼灸院の速刺速抜の治療がこの時から変わり始めた。間もなく鍼灸師会からの通達に「痛みには置針を」という指導が行われるようになったからである。

 置針がクロースアップされたのは、鍼の疼痛抑制機序に脳の中にモルヒネ様の物質などが作られることが言われ始めたからである。効果の具現は体液性なので、モルヒネ様の物質が作られるまである程度の時間が必要であるのだ。その物質が作られるために置鍼の必要性がでてくるのである。この鎮痛効果を確認するためには、鍼麻酔をかけた動物の体液を、鍼麻酔をかけていない動物の体液と交換し、鎮痛効果を確認すれば証明できる。結果は、血液交換された動物のほうに見事に麻酔がかかった。つまり、体液性に物質が存在できるまでの「時間」=「置針」が必要であった。

 しかし、早とちりしてはいけないのは、これはあくまでも鍼麻酔の鎮痛機序に限った話で、すべての鍼効果機序の説明にはなっていない。たとえば、腎虚の治療に復溜穴の切皮鍼で即座に尺脈が実して来て脈状が調う事実は、普段の診療に脈診を取り入れている術者なら日常に経験していることである。このように自律神経系の治効機序に関しては必ずしも置針の必要はないようである。

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