週刊あはきワールド 2015年9月16日号 No.442

古典の考証 第3回

「補瀉」も考え直そう!

森立之研究会 山口秀敏 


9.「補瀉」も二元的に捉え直そう!

 前回は「虚実」を、邪気と精気の両面から二元的に認識すべきであることを主張したのですが、それは従来の「虚実補瀉」論では一元的な対義語(意味の上で互いに反対の関係にある語)であるかのように語り、何となく「反対のように見える」語感で使用されてしまっているからです。

 それは「補瀉」も同様で、当たり前の事ですが精気に対応するのが「補」で、邪気に対応するのが「瀉」です。しかし、単純化された原理主義や偏狭なマニュアルに依存していると、この当然の事が単なるお題目としてならともかく、現実の臨床では全く見えなくなるようです。

 先日も、ある方から「実痛でも、そこを流れる経絡を敢えて補して気滞の部分の通りを良くする事でも治せる」とのご意見をいただいたのですが、補と瀉は一元的に反対の行為ではないのです。

 もういい加減に蛇足ですが敢えて言えば、精気が強くなれば相対的に邪気が弱くなるので、補法を用いても瀉的な効果は伴います。もちろん「効率の違い」はありますが。経営関係の本などで多用される「戦略」と「戦術」の語を借用して説明してみれば、「通りを良くする戦略」で「補法の戦術」を用いて「瀉法的な効果」を狙った!とでも言い換えられそうですが、それでも上手く行えば補法だけで楽にできる場合もある事は認めます。しかし、だからと言って「瀉法は学ばなくてよい」理由にはならないはずです。

 前にも書きましたが、現状では一元化・一面化した原理主義の信奉者が大多数で、それがむしろ常識であるかのごとく堂々と罷り通ってしまっています。その何が魅力で、なぜそれほどまでに囚われてしまっているのかが不思議にも思えるのですが、それが本来の意義ではないのです。

 この手の事例は多過ぎて、枚挙に暇がないほどに遭遇するのですが、しつこくて愚痴ぽくなるのでこれぐらいで止めます。

10.「三刺」の四類型での分類

 前回、『霊枢』の終始篇(c)と官鍼篇(d)にある「三刺」の鍼法をせっかく挙げましたので、これを手掛かりにして補瀉をもう少し考えて見ましょう。
 

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