週刊あはきワールド 2015年10月7日号 No.444

鍼灸マッサージボランティア活動報告

関東東北豪雨災害における鍼灸マッサージ治療による支援活動 (その1)

災害鍼灸マッサージプロジェクト代表 三輪正敬 


災害鍼灸マッサージプロジェクト、9月19日に常総市で活動再開


関東東北豪雨災害の爪痕
 21:40。茨城県常総市、石下総合体育館。眠れないのだろう。消灯間近の避難所の中で幼い兄妹がはしゃいでいた。夜勤の看護師の詰める救護室となっているトレーニングルームに子どもたちが走りこんだところでつかまえて、ひとしきり遊んだ後に「お家はどう?」と尋ねると、6歳のお兄ちゃんが「ゆかうえ」と即答する。

 4年前も同様だったが、小さな子どもの大人びた言動には、こちらの胸をツンとさせるものがある。

 2011年の東日本大震災を受けて発足した災害鍼灸マッサージプロジェクト(以下災プロ)は、そのスタッフはほぼ全員が、それぞれ個人の治療院を営んだり、訪問マッサージなどに勤めている、ごく普通の鍼灸師やマッサージ師たちである。当時の支援活動の終了後は実質、解散していたが、今回、2015年9月9日・10日の関東東北豪雨災害の被害が数県にまたがる広域のものであったことを受けて、9月19日より、茨城県常総市での活動を以て再開した。


常総市役所仮設庁舎
 広い被災地域の中で常総市が活動場所となったのは、最初に連絡をとった茨城県から、最も被害の大きい常総市を推薦されたことが主な理由だが、すでに隣のつくばみらい市で活動を始めていた日本鍼灸師会や、やはり栃木県で活動のための現地調査を行っていたAMDAの先生方と連絡を取り合い、お互いに活動場所が重ならないよう配慮したことも理由である。

 今回の災害は東日本大震災と比べれば格段に報道は少ない。しかし、家や田畑を失った方々の苦労は計り知れない。人が住んでいないためにニュースにはならなかったが、福島県浪江町でも川の水があふれ、復興のために生花を育てていた方の花畑も全滅してしまったそうである。

 活動にいち早く駆けつけてくださった治療ボランティアの一人、大浦慈観先生から頂いた感想には「私のいる栃木県でも、あまり報道はされませんが、山間部の道路が寸断され、思川・黒川およびその支流の越水・決壊により家屋や田畑など生業に多大な被害を受けている方々がいます。福島県山間部の桧枝岐川周辺部も、被害状況は深刻なようです。そうした地域では、ボランティアもあまり入っていないようで、地域の互助能力にも温度差があることを感じました」とあった。

 こうして耳に入ってくる、報道にはのらない他の地域のことを思いながら、ご縁を頂いた常総市での活動を開始した。

石下総合体育館避難所を拠点に
避難者と避難所運営に疲弊する市職員を治療

 活動場所は、石下総合体育館避難所を拠点にして、ボランティアの参加者の多い日は、菅生公民館やあすなろの里といった他の避難所でも並行して治療を行った。


石下総合体育館の外観(左)と館内(右)


菅生公民館(左)とあすなろの里(右)




















 東日本大震災と比べれば、死者数の違いだろう、避難所を包む悲壮感は薄い。それでも、くつろげる自宅や、生活のための仕事の基盤を失った方々の心労はいかばかりかと察せられる。治療をしていて、「家族の命だけは助かったし、友達が手伝いに来てくれるから、心で泣いても笑顔でいるようにしているの」と心情の吐露を受けた参加者もいた。

 身体症状としては、頭痛、首肩こり、腰痛、便秘、不眠傾向といったものが多かった。これは避難所という生活環境のためであり、災害時には共通してみられる症状と考えられる。特徴があるとすれば、水が運んだ土砂が渇いて土埃となり、喉を傷めた方が多かったことである。感染症予防と併せ、マスクの装着は必須だった。
 
 活動方法は、先の震災で得た経験がそのまま生きた。何もない場所にプライバシーを確保した治療スペースを作る技術。患者さんの血圧・体温を測定し、脳梗塞ほか心配な患者さんを現場の保健師や看護師といった他の医療職へ報告する医療連携の確立。カルテや連絡ノートなどを通して治療家が交替しても治療を継続していけるスタイルなどである。


何もない空間に治療スペースを作る


血圧計と、地元の治療院案内(左)と受付風景(右)




















 避難者ばかりではなく、避難所運営に疲弊する市職員を治療対象とした点も2011年と同様であった。避難所開設当初は、避難者の生活を守るために、市の職員は寝ないで対応する。被災から1週間以上過ぎた9月19日の時点でも、職員の血圧を測ると「普段より30も高い」という数値が出ていた。

 支援者支援に関しては、現行の医療支援では心のケアチームが入るようになってはいるものの、鍼灸マッサージの需要が大きいことは明らかである。

 こうした点の詳細はHPにまとめられているため、参照していただければ幸いである

◎災害鍼灸マッサージプロジェクトホームページ→http://sinkyu-sos.jimdo.com/

地元業団との協働
茨城県鍼灸師会の活動に、災プロからボランティアの派遣

 今回、特徴的だったのは、地元業団との協働である。

 9月19日から23日の間に市役所の中に治療所を立ち上げ、職員への治療を始めていた茨城県鍼灸師会の活動に、災プロからボランティアの派遣をした。地元の方々のみで人員を確保し、集中的にボランティアを続けるというのは、非常に難しいことだからである。

 ご自身が被災者の場合もあるし、患者さんが被災して来られなくなってしまうこともある中で、災害医療の訓練を受けたことのない先生たちが、自分の生活があるにもかかわらず、急に治療ボランティアに駆り出される構図。ボランティアは「無理して行うことではない」が、巻き込まれてしまうのである。とはいえ地元のことであり、使命感と自らの生活との間で、必死なって活動されていた。

 微力ながらそのお手伝いをできたことは「地元同業者への支援」という災プロの活動目的にも適ったことであり、私たちにとって幸いだった。

 他にも、個人的なグループを作って活動されている近隣の市の先生らとも連絡をとることができた。

 災プロはもともと政治的背景を持たない団体であるが、状況が千変万化する災害の時は特に、大きいも小さいもなく、個人も団体もなく、皆で協力してことにあたることで、お互いを助け、助けられることが大切である。それによって、私たちの手の届く方が格段に増えていくのである。

10月10日の撤収へ向けて活動中

 災プロは10月5日の撤収を予定していた。これは、私たちの活動を医療支援と位置づけ、血圧データの安定や、患者さんたちの地元医療機関へのアクセス状況などが整ってきた段階を撤収基準としているためである。

 ところが、撤収予定日の5日に常総市役所へ挨拶に訪れたところ、「罹災証明を発行している部署が睡眠時間を削って働いている状態で…」とのお話。急遽活動の継続を決定した。撤収予定の当日であり、ボランティア確保に不安があったが、茨城県鍼灸師会の方が1名、手伝いに入ってくださった。申し訳なかったが、ありがたいことである。

 現在、10月10日の撤収へ向けて活動中である。また報告させていただきたい。

 そう、冒頭にふれた兄妹、「ゲームは壊れなかった?」と尋ねると、「水に浸かったのに大丈夫だったの!」とうれしそうに話してくれ、母のもとに戻っていった。早く、もっと安心できる家へ帰れる日が来ることを、心から祈った。

三輪正敬(みわ・まさたか)

災害鍼灸マッサージプロジェクト代表。いやしの道協会副会長。東京都立大学人文学部心理学科卒業。都立国立高校ラグビーコーチ、心理職などを経た後、東洋鍼灸専門学校入学。2007年同校卒業と同時に東京都調布市にて敬風堂鍼灸院を開院。いやしの道協会にて横田観風師に師事し、学・術・道を併せた医道の研鑽に励む。2013年より羽生総合病院の和漢診療科にて非常勤を務める。共著に『あはき心理学入門』(ヒューマンワールド)がある。日本社会精神医学会雑誌、社会鍼灸学研究雑誌などへの寄稿がある。
 
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