週刊あはきワールド 2015年12月16日号 No.454

【新連載】カラダの欲求と操体の私的解釈 第1回(序)

操体とは何か

 大隈博英 


 操体は一般の方にお話すれば、ほとんど100%に近い確率で、その存在すら、知らないと言われる(体操と勘違いする人も含む)ほど、マイナーな存在である。

 一方、臨床家なら誰でも知っていると言ってもよいほど、手技療法ではメジャーな存在でもある。それは操体特有、いや、創始者、橋本敬三(個人的には大尊敬しているが、ここでは歴史上の人物として論じていきたいので、他の先生方ともども、敬称略とさせていただく)のオープンな思想と、操体法特有の単純さ(導入のしやすさ)にあると思う。

 もっとも、その反面、単純が故に奥が深く、正しく理解、実践している人が少ないというのが、現状ではないだろうか。それにはさまざまな要因が考えられるが、最も大きいのは、個人的には、操体が生まれた時から、今日に至るまで、広義な意味での操体(思想的な総論)と、具体的な手技療法である、操体法(各論)との溝(ギャップ)が残されたまま、放置されていることにあると思う。

 操体もローマは一日してならずで、その思想も手技も、だんだんと、深まっていった歴史がある。その間、思想は手技に影響を及ぼし、手技による新しい発見が思想へとフィードバックされていき、徐々に深まりながらも、いつしか、溝ができてしまった可能性がある。そこで、まずは操体の歴史的経緯を見ていこう。

第一次操体法と第二次操体法

 操体は、元々、橋本が高橋迪雄の正體術と出合うことから始まる。

 ところが、橋本が見学したのは高橋本人ではなく、その弟子である、奥村隆則であった。奥村は、詳しい治癒メカニズムを理解して実践しているわけではなかったらしく(今でこそ、治療理論を求められるのが必然ではあるが、昔の療術界は、職人的で感覚的な分野であり、そういったことは珍しいことではなかったと思われる)、理解しにくいところがあった。

 そこで、医師である橋本は、現代医学者の視点をもって、人体の構造的な問題に着目し、人体を歩く建物と表現した。そのため、当初、操体法は、正體術を基に、構造医学的な物理療法として、確立されていく。これが、操体界で言われる、第一次操体法である。それから、本の出版があったり、某公共放送に取り上げられたりと、世に知られたため、その時期に温古堂(創始者の診療所)を訊ね、操体を学んだ臨床家が多くいたようである。

 そのため、未だに“操体法を知っている”、“習得している”という人の言う、操体法とは、この第一次操体法のことを意味している場合が多い。

 ところが、後に、操体法は大きく、様変わりする。もともと、操体の思想の中核ともいうべき、性善説に基づいた、人間なら誰でも持っている、「原始感覚としての快適感覚にゆだねる」という、より感覚的な方法へと移行し、運動療法というより、感覚療法へと変化していく。これが第二次操体法である。
 

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