週刊あはきワールド 2016年1月20日号 No.458

カラダの欲求と操体の私的解釈 第2回

本当に気持ちよさで治っているのか

 大隈博英 


◎第1回(序) 操体とは何か
 

操体と操体法の関係

 ここではまず、広義の意味での思想的な操体(総論)と、具体的な治療法としての操体法(各論)と、用語をはっきり分けておきたい。今後の混乱を避けるためである。

  なお、操体は橋本敬三が、正體術と出合って、試行錯誤していく過程で、その思想的な部分も整理されてきたものであると想像される。つまり、操体と操体法は相互に影響し合って、誕生、成長してきたものであると思う。

 実際、橋本は晩年、操体は完成されていない旨の発言をしていると聞く。

 そのため、現時点で多少の矛盾があって当然だと思う。そして、操体という自然法則そのものと言ってもよい、広大で深淵な哲学と、具体的な治療法である操体法を同時に誕生、成長させた経緯は大変な苦労があったことも想像できる。特に、治療法となれば、実際の患者の主訴(それも現代医学では太刀打ちできない症状の人が多かったと思う)を改善させる実践的なものである必要があり、今でも、それが通用しているのだから、並大抵のことではない。

 しかし、それが序でも触れたように、初学者と指導者に混乱を生じさせているのも確かなのである。

 つまり、まず、

操体=操体法ではなく、

操体>操体法となっていると考えるべきであろう。操体法はあくまで、深淵広大な思想体系である、操体の一部を治療法として、具現化したものである。図で表せば、ちょうど、こんな感じだろうか。
 

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