週刊あはきワールド 2016年3月16日号 No.466

【新連載】全力で治す東西両医療 プロローグ(1)

「全力で治す東西両医療」連載にあたって

~かわいそうな鍼灸師のために~

TOMOTOMO(友と共に学ぶ東西両医学研修の会)代表 石川家明 


◎プロローグ(2) 「全力で治す東西両医療」連載にあたって
           ~東洋医学と西洋医学は対立するか~(木村朗子)
 
 東洋医学がプライマリケアの第一線医療であることに異論は挟めない。伝統医学はもともと生活に密着した医学であるからだ。何千年の間、農工や漁業の人々の生活のまにまに起こるあらゆる病に対応しようと、身近に存在しながら発展した医学であった。

 現代のプライマリケアでも日々、日常で起こる病(日常病)を診ている。日常病を扱うなかで、その近接性(地理的、経済的、時間的、精神的)ゆえに、病がまだ完成されない初期の状態の患者が多く来ている。プライマリケアの現場ではよくある言説のうちに、教授の前に患者が出る時にはすでに「病形」は整っていて教科書的になっているから診断は容易になっているはずというのがある。ひるがえって、私達プライマリケアの医療最前線の現場では「病形」は整っておらず、少ない情報のなかで手さぐりにて病を推論していかなくてはならないのが実情なのだ。初期診療の難しさと初期診療にかかわる自負の気持ちが表れた言葉である。初期診療の難しさは病が整っていないばかりではなく、よくあるありふれた体をなしていながら、稀な病であったり、難治な病であったりすることにもある。つまり、大学にいる教授よりもプライマリケアの最先端にいる医療者の方が現実的には大変なんだぞと宣言している文言でもある。

ベッドサイドで「考える」作業なしに良い臨床家は生まれない

 また、こんな言葉もある。「君はまだ教科書を信じているのか」。

 卒業したてで、現場に飛び込んできた気まじめで、記憶力の良い、頑固な人に浴びさせられる言葉でもある。教科書一辺倒になり、教科書に書かれていることだけが真実であり、患者のありようを単に教科書にあてはめようとしてしまう。患者を総合的に見ていない。教科書通りの人などは一人もいないと言った警句が真の意味で理解できていない。何よりも教科書が先であると、発見が遅れたり、誤診につながることがあるのだが、臨床経験が少ないとその意味がまるで納得ができなく、腑に落ちないのである。それでも、素直であるならば、とりあえず先輩の言うことを聞いておこうとなるのだが、今時の人はどうも違う方が多い。上記の言葉は、また「教科書を覚えるだけの勉強は終わりだ」と言いかえることもできる。

 しかし、だからと言って教科書の大切さや必要性が落ちるわけではない。教科書は「覚える」ことであるが、臨床現場(ベッドサイド)では「考える」ことである。そのことがごちゃ混ぜになっているからであろう。これは初学者だけではなく臨床数年の経験者にもあてはまるかも知れない。臨床現場と教科書、論文を行ったり来たりしながら、自らの頭をつくっていく作業なしに良い臨床家は生まれない。

「しびれ」から臨床現場と教科書の違いを考える

 具体的に話をしてみよう。たとえば「しびれ」の臨床推論は、しびれの領域マップの作成から始まると言っても過言ではない。そのやり方がピットフォール(診療における落とし穴)に落ち入ることが少なく、確定診断に至る時間が短くて済むことは、“できる治療者”ならば「わかっている」自明の診察法と言ってもよい。しかし、たとえそれを理解している人がいざ、しびれを教科書的に記載しようとすると、違うものになることも分かりきっている。教科書的記載はこうだ。

 まずはしびれの性状を述べた後に、内科的と外科的に分けたり、末梢性と中枢性に分けたり、さらに危険なしびれの鑑別の要点に言及したりするであろう。そして解剖学的な順位で各論に入るのが常石であろう。頚椎症性神経根症のしびれならば各論の各論の各論の下層あたりで、記述ができるであろう。しびれを呈する疾患は同じ「末梢神経レベル」でも起きるのでまず同レベルの類似疾患との鑑別がある。また、上位の「脊髄レベル」でも起きるからである。さらにもっと上位レベルの「脳・脳幹レベル」でも起こるからである。

 ここまで書くと気づくであろう。臨床の現場で「頚椎症性神経根症」として認識して、下位階層向きにしびれを診てしまうと、上位階層にある疾患を見落とす危険性が含まれてしまうことを。誤診を防ぐと同時に素早く診察できるようになることが臨床の知恵である。

 このように臨床現場と教科書の記述は違いがあるものである。臨床の知や技術はベッドサイドで学ぶものである。そもそも教科書に臨床現場のすべてが書かれているはずもない。さらには、その科や専門集団には内部の常識的概念用語があるが、それが一歩外の世界に出るとわかりにくい言語となるものも多い(暗黙知という概念である)。これら、その世界の暗黙知はすべて、その科や専門集団に入ってベッドサイドにて学ぶ事柄である。現場に飛び込み、指導を受けなければわからないことが非常に多い。そもそも東洋医学と違い、西洋医学は人から習った方が習得の早さがある。しかし、ここ十年「教科書」が親切になってきた。これも「総合診療」の台頭の影響もあろう。さらに鑑別診断(臨床推論)を興味深く放送してくれているNHKの「ドクターG」番組のお陰かもしれない。

かわいそうな鍼灸師のために

 さて、ひるがえって鍼灸界はどうであろうか。以前から「かわいそうな鍼灸師」論を唱えていた。医療職としてはまれに見る構造的に問題のある学校教育である。(良い学校もあるらしいが)本誌でもジャーナリストの山田寿彦氏が学校体験をレポートしてくれた論があったが、まさに一字一句同感である。本記事を読んで改めて斯界の教育は40年前と基本的に変わっていない思いを強くした。

 それでは卒後教育がちゃんとあるのかというと残念ながら、これも医師、看護師、PTらの教育体系と比較すると惨憺たるものである。いったい東洋医学で人を治したいとの純な若者の(年寄りも入ってくるが)心情に答える教育装置はどこにあるのか。鍼灸学校時代から卒業してからもまっとうな教育システムが存在しないのである。かわいそうな鍼灸師である。

 知識の切り売りでは臨床には役立たない。ベッドサイドで、ほぼ毎日厳しい指導を受けて、診療後にはカルテ書きやカンファがあり、疲れ果てて深夜に帰宅する、そんな日々が卒後鍼灸師にはない。善し悪しは別にして、これが世界の医療を学ぶ実際の姿である。一度でも良いので、臨床現場で卓越した医者に1年間でも継続的にシステマティックに教えられると、「つまみ食い」的学習しかしていない我々鍼灸師の知識実態に、ほんとうはその疾患を知ってはいなかったのだという事実に気づかされて、多くの人は唖然とするだろう。これは東洋医学教育でもまったく同じである。人の体を診るという意味では洋の東西に差があろうはずがないのである。

 ただ、ありがたいことにいくつか鍼灸師の卒後教育のための施設があった。また、最近では福島県立医科大学のように鍼灸研修生を募集してくれるところが出てきた。今までは、クリニックレベル、病院レベルで全国的にみてもほんの数件あったのみであるので、こうして大学が卒後鍼灸教育に乗り出してくれたことはほんとうに得がたいことである。

 私たちTOMOTOMO(友と共に学ぶ東西両医学研修の会)では16年前から、東洋医学を広めるために医学生・研修医・鍼灸学生・鍼灸師らの医療者向けの合宿研修を年に4~5回行ってきた。3年前からは自分たちの拠点として「ともともクリニック」をつくり、東洋医学研修(福島県立医科大学にならえば漢方外科<鍼灸>と漢方内科<湯液>)の長・短期研修の受け入れを行ってきた。しかし、残念なことに研修に来てくれるのは圧倒的に医師・医学生であり、鍼灸学生や鍼灸師は少ないのが現状である。かわいそうな鍼灸師はいなくなったのだろうか?

人を不幸にしないために西洋医学を、
人を幸せにするために東洋医学を共に学ぶ

 このたび、あはきワールドから連載の話をいただいた。多くの人に東西両医学の同時診療の必要性とその醍醐味を理解してもらえるならばと、TOMOTOMOグループとして引き受けさせていただくことになった。発表形式はまったくのフリーな形式で行いたいと話し合っている。少しでも私たちの研修の実態を誌面に反映したいと考えたからである。論述形式、会話形式、教科書形式、症例検討形式、往診報告、地域ケアシステム日記、クイズ形式、カンファレンス実況中継、院内乱闘生中継…などなどを。上述したことと矛盾するが、系統的には到底なり得ずして、「つまみ食い方式」にはなってしまうであろうがご勘弁願いたい。

 読者の参加も大歓迎である。建設的な意見、真摯な質問には時間と誌面の許す限り答えたいと思う(石川宛に直接メールしてください)。

 TOMOTOMOのモットーを紹介しておきたい。「人を不幸にしないために西洋医学を、人を幸せにするために東洋医学を共に学ぶ」。さあ、友と共に、一緒に東西両医療を学んで行きます!

 現状の執筆者・参加者は下記のとおりである。

横田 啓 山口県総合医療センターへきち医療支援部
横田佐和 山口大学大学院医学系研究科放射線医学分野
飯田智子 浜松医科大学産婦人科家庭医療学講座 
豊水道史 聖隷横浜病院消化器内科 
藤田洋輔 呉竹学園呉竹医療専門学校 
萱間洋平 慶應義塾大学神経内科大学院 
荒川和子 山田整形外科・胃腸科・肛門科 
平岡 遼 鍼灸学生2年
木村朗子 ともともクリニック 
石川家明 TOMOTOMO(友と共に学ぶ東西両医学研修の会)

 

石川家明(いしかわ・いえあき)

1976年石川鍼灸院開業、現在に至る。1980~82年神奈川県立七沢リハビリテーション老人病院研修生。1985年中国留学生援護会設立。1990~2000年NPO健康まちづくり研究所主宰。1991~2010年生活クラブ生活協同組合神奈川顧問。1995~2010年神之木クリニック東洋医学科室長。2000年東洋医学の勉学&医療ボランティア組織「石川(現ともとも)ゼミ」設立。2003年医大生・医師との協同勉強会組織「TOMOTOMO(友と共に学ぶ東西医療)」創立。2012年ともともクリニック開院。他に鍼灸専門学校非常勤講師5校を歴任するが円満退職なし。性格穏便であるもなぜか、理事長、校長、校長の妻、学科長に辞めさせられる星の下に生まれる。(本編内容と関係なし)現在かろうじて1校は続いている。
 
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