週刊あはきワールド 2016年4月20日号 No.470

カラダの欲求と操体の私的解釈 第5回

原始感覚の謎に迫る(3)

~「間に合えばよい」の謎~

 大隈博英 


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100点満点は危険?

 前回までは原始感覚の正体を考察してみた。今回は、原始感覚の疑問点、第二弾として、60点主義の謎に迫ってみたい。

 操体は一般には、快適感覚を求めて、最も気持ちよい地点で静止(操体用語でタワメという)し、十分に快適感覚を味わって、気持ちよく脱力し、その余韻も十分味わい、終了するという方法をとる。ところが、口頭ではそのように説明するのだが、イザ、実践となると、

「自分が思っているよりも、半分くらいの力加減で動く方が良い」

とか、

「あまり、気持ちよすぎない方が良い」

などと、最初の説明とは違ったことをいう指導者が多い。

 私はいくつかの操体指導者の元に足を運んだが、その中で、やたらと、

「100点は危険だ、100点とったらひどい目に合う」

と強調していた人もいた。だから、症状の改善も60%ぐらいになったら、それで1回の操法は十分で、それ以上追ってしまうといけないという、警告も与えられた。快適感覚も60点、効果も60点という基準を持っている指導者もいるわけだ。

 橋本は、「間に合えばよい、欲張って、100点取ることはない、60点で良いんだ」

という旨の発言をしていたという。どうも、ここから来ているらしいのだが、ひねくれ者の私は、この意味をそのまま受け取ってよいのか、素直には考えられないのである。

 この意味は、まず、必要以上に頑張るからストレスなどで精神的、身体的に過剰緊張を生み、運動系の歪みが生じ、ついには内臓疾患などの病気になってしまうという、初期の構造医学的な意味合いからも考えられる。

 操体は“頑張る”を嫌う傾向にある。むしろ遊びの中に癒しを見出す。それは、仏教的な中道の概念にも通じるだろう。釈迦は弓と矢の喩えで、中道の概念を説明した。

 弓が張りつめ過ぎると、切れてしまい、当然、役には立たない。しかし、緩みすぎても、弓は飛ばない。ちょうどよい緊張具合が、矢を最大限飛ばすための良い弓となるということである。

 つまり、中道とはちょうど真ん中という意味ではなく、バランスが取れた状態のことをいい、最も、パフォーマンスを発揮する状態と言える。

 そして、仏陀は人間として生まれた以上、4つの苦しみからは逃れられないという。有名な生老病死の4つである。そして、その苦を超える方法は、そもそも苦を作る原因を消滅させることにあるという。それが、貪欲である。苦しみとはそもそも、一般に苦しみとされる対象を心が苦しみに感じるから、苦しみになるのであり、その原因が欲張りすぎた、貪欲であるというのだ。

 適度な欲は進歩に繋がる。必要は発明の母である。
 しかし、過剰な貪欲になれば、身の破滅に繋がる。

 こういった、精神面においても、中道を強調したのが仏教であり、東洋哲学である。

 操体も橋本の東洋哲学観がベースになったものであり、バランスを重視する。過度に健康を求めると、かえってそれ自体が病的な状態に陥ってしまうという、真理をついたものであろうと想像できる。

60点を目指す意味

 しかし、どの時点で60点だと、どうやって認識するのだろうか? 頂上まで山を登ったことのない人間がどうやって、6合目だと認識できるのか。

 まして、60点を目指して、60点をとることなど、通常はできないし、仮にできたとしても、それでは、60点満点のテストで60点をとるようなもの(結局、満点を目指しているので、100点主義)ではないのだろうか。

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