週刊あはきワールド 2016年5月18日号 No.474

カラダの欲求と操体の私的解釈 第6回

橋本敬三が残した課題(1)

~操体と操体法をつなぐ橋~

 大隈博英 


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元々、息、食、動、想と、広い範囲だった操体道

 古い操体法の本を読むと、物理療法(第一次なので、運動療法としての操体法)だけでなく、食事や、呼吸や心理的な側面まで含めて、操体の基本思想が紹介されている。

 そして、それらはバラバラに人体に作用するのではなく、同時相関相補連動性 と言って、たとえ運動器疾患であっても、呼吸や食事や心理療法などでも、筋肉のバランスが整うことにより、治癒することをこの段階から、指摘しているのだから、現在の多種多様なキネシオロジーの先取りをしていた感がある。

 橋本は当初から、物理療法(第一次操体法)以外の、操体法を想定していたように思える。ところが、具体的な方法は、一時期、マクロビオティック(食事療法の一種)の話題が上がる程度で、操体としての独自の食事法などは登場には至らなかったようであり、呼吸法や、心理療法も同様で、各弟子達が、独自の試みをしているようではあるが、未だ、操体界のスタンダードには至っていないようである。

 操体指導者の中には、物理療法だけが操体法であり、その他の息・食・想を加えて、総合的な健康法としたものを操体道として、区別するといった者もいた。

 この考えは、当初の橋本プランのままだったのかもしれない。しかし、総論である、操体の思想を反映する各論としては、少々、内容的に弱いものがあった。

 ただ、この操体道という考え自体は大切なことを示唆していると思う。それは、第二次操体法では動の部分だけ、大幅に進化した反面、事実上、物理療法(息、食、動、想のうちの動)だけを操体法と考えるようになったことは、当初の橋本プランから逸脱してしまうことであり、前述した、同時相関相補連動性もあくまで、他の療法(他の呼吸法や食事療法や心理療法)との併用によって、初めて実現されることになってしまうため、思想としての操体と、治療法としての操体法に溝が残されたままとなる。

 そこで、操体と操体法をつなぐ橋となるべく、残りの「息、食、想の操体法」の模索は、橋本が当初、目指していた、総合的な操体療法に原点回帰することにつながるのではないかと、筆者は考える。そして、何より、これこそが、橋本が後世に託したことだったのではないかと思えてならない。

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