週刊あはきワールド 2017年1月18日号 No.506

カラダの欲求と操体の私的解釈 第14回

橋本敬三が残した課題(9)

~操体式呼吸法を模索する その3~

 大隈博英 


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 操体の呼吸法を考えた時、真っ先に思いつくのはアクビである。動きの操体法の手法としては3つあると、連載当初で述べた。

 それは、

動かしてみて(動診)、気持ちが良い動き
痛みなど、侵害刺激から思わず、逃げる動き
無意識にする動きを強調、再現する動き

臨床では、これらを適時ミックスして、操法を構築していく。この中で最も操体らしいといえば、私は無意識運動の再現にあると思う。なぜなら、カラダの欲求とはまさに無意識に顕れるものだからである。

 つまり、無意識の欲求として、アクビはまさに操体の原点ともいえる存在なのである。しかし、なぜアクビが出るのか? それは、実はあまり解明されていない部分が多い。脳の酸素不足のために起こるという説があるが、それでは、アクビがしたくなった時にわざとアクビをせずに深呼吸などをすれば、アクビの欲求は消えていくのだろうか? 私は何度か試したことがあるが、深呼吸を数回した後も、やはりアクビの欲求は消えなかった。

 酸素不足というのは単なる机上の想定でしかなく、現実は、

カラダの欲求である

としか、言いようがないと思う。その証拠にアクビをする前に、動診をしておいて、アクビの前後の変化をみてみるとよい。普通に深呼吸しても変化はほとんど感じないが、アクビだと明らかに変化する。痛みのある個所は和らぎ、可動域は広がる。

 これはアクビが操体である証拠でもあると筆者は考える。

 ならば、逆を言えば、アクビこそが息の操体法の原点とすべきお手本ではないか? とも言えそうである。

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