週刊あはきワールド 2017年7月5日号 No.528

■インタビュー 『ナラティブ霊枢』の訳者・名越礼子氏に聞く!

『霊枢』を読む必要があるの?

 【聞き手】あはきワールド編集人 


簡明 テキスト『難経』~明解な現代語訳と丁寧な注釈・解説でよくわかる~』の編訳者である名越礼子さんが『霊枢』を翻訳され、このほど『ナラティブ霊枢 明解な現代語訳で鍼灸の原典を読み解く』として出版された。奥付の略歴をみると、面白そうな人生の匂いがして、この本のことも含めてちょっと話を聞きたくなったので、インタビューさせてもらった。

 

名越礼子(なごし・れいこ)

1939年 横浜生まれ
1962年 お茶の水女子大学理学部卒業
1968年 同大大学院人文科学研究科修士課程修了(中国現代史専攻)
1979年 東京医療専門学校鍼灸専科卒業
1980年 欅鍼灸院開設(東京府中市)
2004年 東京医療専門学校教員養成科非常勤講師、後定年で退職
2008年 東京衛生学園専門学校臨床教育専攻科非常勤講師
2015年 東京医療福祉専門学校非常勤講師
著書:『中日英医学用語辞典』(共著、三冬社)
    『家庭でできる温灸療法』(自費出版)
訳書:『「症例から学ぶ」中医針灸治療』(東洋学術出版社)
    『針灸三通法』(東洋学術出版社)
    『簡明 テキスト『難経』』(ヒューマンワールド)

 


名越礼子氏
―― 名越さんが翻訳された『ナラティブ霊枢』が出版されましたね。おめでとうございます。

名越ありがとうございます。

―― この本については、あとで詳しくお聞きするとして、まずは名越さん自身について少しお話を伺いたいと思います。名越さんの経歴を眺めていると、おやっ? と思うことがありました。お茶の水女子大学理学部を卒業され、そのあと、大学院へ進まれていますが、専攻がなんと180度方向転換し、人文科学系の中国現代史を専攻されています。つまり理系から文系へと方向転換されたわけですが、その心の変化をもたらせたものは何だったんですか。

大学時代はリケジョじゃなく山ガール?!

名越この辺のところは、恥ずかしくて言いにくいのですが、学部の時は、理学部より山岳部で、登山に明け暮れていました。

―― 山ガールをしていたんですか。どんなところに登っていたんですか。

名越日本の山の多くを登りました。50歳ぐらいから海外の山にも登るようになりました。今でも北京に行けば必ず香山に登ります。ソウルに行ったときはプカンサン(北韓山)に登りました。

―― 登山は今でも?

名越今は海外の高山は無理だし、東京都周辺の低山をボソボソです。

―― いきなり山の話になってしまいましたが、元に戻って理系から文系へ、大学院で中国現代史を専攻されたいきさつは?

教師を捨て、中国史を学び直す

名越大学を卒業して教師をしているときに、中国で起こった反右派闘争を知り、疑問に思ったことがきっかけで、中国史を勉強しようと思ったのです。 

―― 反右派闘争というのは、確か1957年でしたっけ? 毛沢東が発動した闘争ですね。

名越そうです。

―― 名越さんには古典のイメージがありますから、なぜ中国現代史だったのかな、と思っていたのですが、そういうわけだったんですね。それで、実際、中国史を勉強する中で、中国に魅かれていったんですね。

『はだしの医者教材』の翻訳がきっかけで鍼灸の世界へ

名越魅かれた、というより、初めて翻訳依頼された本が『はだしの医者教材(邦訳)』という医学書だったということです。

―― その翻訳がきっかけで、古典や鍼灸へと…。

名越ちょうど文化大革命の時期になるのですが、公害の被害を受けた方々が、中国で、いわゆる『はだしの医者』の教科書を手に入れて、ぜひ読みたいという要望があり、友人を通して翻訳の話があり、仲間に入れてもらって翻訳をしたのですが、私はたまたま中国の伝統医学の部分を受け持ち、必死で勉強しながら翻訳したのです。その仲間の中から、たぶん3~4人は鍼灸師になりました。

―― そういえば、北海道帯広市で東方鍼灸院を開業されている吉川正子さんも『はだしの医者』の翻訳に携わっていたと聞いたことがあります。

名越翻訳の話を持ってきたのが、吉川さんです。

―― あ、そうなんですか。吉川さんとはお友達だったんですね。

名越はい。

私は鍼灸師が天職

―― それにしても、人生ってわかりませんね。名越さんの場合、山ガールをしながらリケジョとして大学を卒業したあと、教師になり、そして中国の反右派闘争をきっかけに大学院で中国現代史を学び直し、『はだしの医者』の翻訳をきっかけに鍼灸師になったわけですからね。教師という安定した職業に満足していたら、鍼灸師や翻訳家としての名越礼子はなかったわけですが、自分の人生を振り返ってどうですか。

名越よく人生は夢を持て、という人がいますが、私の経験では、人生には時に二股に分かれている所があって、その時にどちらの道を選ぶかによって、自分の人生が決まってくるように思います。振り返って、よかった、と思えればいいと。私は鍼灸師が天職のように思います。今でも悩んだり勉強したりしながらですけど。

―― 自分の職業が天職だと言える人がどれだけいるでしょうか。名越さんがうらやましいです。さて、ではそろそろ、出版したての『ナラティブ霊枢』について少し聞いていきたいと思います。どうして、『霊枢』を翻訳しようと思ったんですか。

研究書風ではなく、読み物風の『霊枢』を

名越以前『難経』(『簡明 テキスト『難経』~明解な現代語訳と丁寧な注釈・解説でよくわかる~』)を翻訳したのですが、『難経』は主に『黄帝内経』を基にして、経典でこういわれているけれど、それはどういうことなの? というもので、とりわけ『霊枢』を基にしている部分が多く、やはり『霊枢』を読むべきではないかと思っていました。以前勉強会を持っていたときに、少し翻訳して読んでいたので、いっそ全部翻訳しようかなと、大胆不敵にも思ってしまったのです。 

―― 訳者の序文によると、周囲からも翻訳書を読みたいという声があったとか。

名越それもありましたね。重たくないものをね。

―― 翻訳に際して、底本を人民衛生出版社の影印本の明代趙府居敬堂刊本としていますが、これを底本とした理由は?

名越それしかないのでは? ほかの本もたぶん同じではないでしょうか?

―― 翻訳するに際して、どんな点に苦労されましたか?

名越やはり『難経』より少し時代が遡るので、元の中国語が『難経』より難しいと思いました。中国で出版された何冊もの『霊枢』を参考にしました。例えば、『周易』などは、もっと難しいです。少し前に、中国の外文出版社の依頼で、『周易』を翻訳したのですが、これは現代中国語に翻訳されたものなので何とかなりましたが、原文ではとても歯が立ちません。古代の中国語は、1文字の中に多くの意味を含めるので難しいです。

―― 序文に、研究書風ではなく、読み物風の『霊枢』を目的として翻訳したと記されていますが、その理由は?

名越ともかく読むことが先決ではないかと思うのです。やたらと注があったり、あちこち見たりするのは、煩雑だし。スルスル読んでみよう、ということです。

―― 確かに、国内で出版されている『霊枢』の本は解説などが随時入っていたりして、流れが遮断されるので、物語を読むみたいにはいかないものがほとんどですね。

名越以前、『ナラティブと医療』という本を読んでから、「ナラティブ」という言葉が、私の中でキーワードになっていたのです。物語とか語るなどの意味ですが、『霊枢』は黄帝と医者との対話であり、また、「これはどういうこと?」「こういうことなんですよ」という状況を表しているので、読む『霊枢』としての表題に適しているかな、と思ったのです。

『霊枢』を読む必要があるの?

―― なるほど、そういう意味が込められていたんですね。ところで『黄帝内経』、特に『霊枢』は鍼灸のバイブルとか言われていますが、バイブルなら鍼灸師がみんな持っていないとおかしい。しかし、そうじゃない。鍼灸学校だって、『素問』や『霊枢』という原典の存在は教えても、中身は教えない。要するに、バイブルと言われているだけで、本当にバイブルだと思っている人はほんの一握りではないか。言ってみれば、古典を勉強しなくても、鍼灸はできるわけです。そう考えると、古典なんて勉強する必要はない、と考えている人は実際いるんじゃないかと思うのですが、やっぱり『霊枢』を読む必要があるんでしょうか?
 

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