週刊あはきワールド 2017年7月12日号 No.529

【新連載】夢の轍を歩きながら 第1回

カルタゴの夢

~私の教育の原点~

 冬香 


 2009年の夏、私はチュニジアの首都、チュニスにいました。4年間勤めた三重県の大学を辞め、次の職場に勤務するまでの短い休暇を使っての旅でした。地中海を眼下に望む家々はみな、チュニジアンブルーと呼ばれる青の装飾が施された扉を持ち、白亜の壁との強いコントラストが強い太陽の光の中で美しかったことをいまでも鮮明に思い出します。

 チュニジアに行く、と言ったとき、Jazz好きの先生は「チュニジアの夜ですね」と言い、映画好きの人は「STAR WARSが撮影された場所ですね」と答えました。

 けれど私が見たかったものは紀元前146年にローマに滅ぼされたカルタゴの街です。あの問題を見た時から私は、いつかこの目でカルタゴを眺めてみたい、と思うようになりました。

 中学2年の冬。古代ギリシャ、ローマ史を学んだ後の期末試験にポエニ戦争をテーマとした問題が出題されました。地中海貿易でローマを凌ぐ商業力を誇ったカルタゴを一世紀にわたる戦争で滅ぼし、最後にはその土地に塩を撒いたというローマ。出題されたのは、その最後の第3次ポエニ戦争終結時に、ローマの将軍であった小スキピオがカルタゴの町を見下ろしながら涙を流したエピソードです。問題は史料とこれに対する問いから成り立っていました。

 「小スキピオは、この都市が、いまや完全な壊滅のうちに終末に至ったのを眺め、.…涙を流して公然と敵の運命を嘆いたといわれる。長時間自ら沈思し、諸々の都市、国家、帝国とまた個人の興亡を省察し、かの往昔の誇り高きトロイ、アッシリア人、最大のペルシャ人、そしてその後の光栄あるマケドニア人の帝国の運命を回顧すると、思わずかの詩人、ホメロスの言葉が彼の口から漏れた。"その日来たらん、われらの聖なるイーリオス、トロイ王プリアモスの統べる人々のすべて滅び去らん日の"。 これらの語句を用いた意味をポリオビュスに問われて、(中略)彼は率直に彼自身の国を口に出すのをはばからない、と言った」

 この史料だけが提示され、問題はこう問いかけていました。
 下線部「彼自身の国を口に出すのをはばからない」について、小スキピオの心情を考察し、説明せよ。

 この問題文を見た生徒達は全員、凍りつきました。授業ではカルタゴが第3次ポエニ戦争により紀元前146年に滅ぼされたこと、兵士は皆殺しとなり、婦女子も全て奴隷としてローマに連行されたことは習っても、ローマ側の将軍の話などは聞いていません。この問題は初めて読む史料を目にして、その「意味」を将軍の立場に即して考えよ、というのです。

 「はばからない、ということは遠慮しない、という意味だよな? 自分の国の名前を口にした、ということはローマのことだろうからローマもいつかは滅びる、と言っているのだな。自分の祖国が滅びることをどのような心情で言ったか、とこの問題は問うているのか」と、初めて見る史料の言葉を解釈しつつ(ちなみに試験時間は50分)、平家物語の序文を思い出して「盛者必衰の理を感じた」と書くのが精一杯でした。母に「驕れるもの久しからず」と小学校の頃によく聞かされていたからです。

 試験終了後はだれもかも無口のまま天井を仰いでいました。

 しばらくして採点済みの答案とともに配布された講評には以下のようにありました。

 彼は、カルタゴほどのすぐれた力量を持つ国家ですら滅亡を避けられない現実を目の当たりにして感動したのだが、それは栄枯盛衰の必然性を感じたことを意味する。トロイ、ペルシャ、アレクサンドロスの帝国の運命(過去)をカルタゴの運命(現在)から捉え直し、そしてローマの運命(未来)を読み取ったのだ。当事者である彼は、自分と自分の祖国の運命を、歴史の流れの中にはっきりと捉えた―まさに文明人としての知性がそこに輝いている。この後、ローマの知識人達は、ローマ滅亡の危機に際して必ずこのスキピオの話を想い出すことになるのである。

 いまでこそ、齢50を越えましたが、当時はまだ小学校を卒業して1年半しか経っていなかったのです。その生徒に、トロイ、アケメネス朝ペルシャ、マケドニア帝国の興亡の歴史からカルタゴの滅亡を捉えなおし、やがて滅亡の危機に瀕するローマの知識人の絶望にまで思いを馳せよ、とはできない相談です。しかもそれを敗れた側ではなく、勝者の言葉から読み取れ、というのです。「おまえは何も勉強していないだろう」とたたきつけられたような衝撃でした。

 驚きと悔しさはやがて、14歳の生徒を子供扱いすることなく、容赦なく難問をぶつけてきた教師の心意気への深い感動に変わっていきました。歴史という学問と、生徒の未来への愛情をそこに見いだしたからです。

 この問題を出題した教師は、東大紛争時に最後まで安田講堂に立て籠もった闘士としてつとに知られた先生でした。内ゲバで切りつけられたと思しき生々しい傷跡を隠すため、夏の暑い盛りでも長袖のジャケットの下にサポーターを巻き、50分の講義の間、詳細に準備されたプリントに一瞥もせず、語り尽くす姿は麻布の名物でもあったのです。

 「歴史を学ぶとは、物語としての英雄譚を消費することでもなく、ましてや年号と事件を記憶することではない。それは、過去から現在の自分を照射し、自らの明日を知ろうとする、知の営みなのである」ことをこの一回の試験だけで、身体に刻みこまれました。
 

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