週刊あはきワールド 2017年8月16日号 No.534

『霊枢』 を読もう! 第3回

九針十二原(9種の異なる針具、十二原穴) 第1

欅鍼灸院 名越礼子 


 
黄帝が岐伯に問う余は、万民を子のように思い慈しみ、人々を養い、その租税を徴収している。余は、必要なものが十分に供給されないために病気になる者がいることを哀れに思う。そこで、毒薬(治療用の薬石)を用いず、砭石(へんせき)(石針)を用いず、微針をもってその経脈を通じさせ、気血を調整するという、刺針の原理の道を広めたいと思う。これを後世に伝え、法則を明らかにし、後々までも滅びないようにし、長い間絶えることなく用いられ、忘れられないようにしたい。そのため原則を定め、章を分け、表裏の関係を弁別し、一貫した治療の根拠を作りたい。九針の具体的な形状を規定し、針経を成立させたいと思う。どうか意見を聞かせてほしい。

岐伯私が知っていることをできる限り順序立てて申し上げましょう。あらゆる方法には、綱紀(根本の原則)があります。1に始まり、9に終わっています。今、その用針の道理をお話しましょう。

 小針(微針、豪針)を用いた治病の要点は、語るのはやさしいですが、臨床において、その精微(詳細な深層)に到達することは難しいのです。未熟な医者は、病人の形体のみを診て外面から病状を診ます。経験豊かな医者は、病人の精神状態、気血の盛衰の状況を診ます。内面の陰陽両気の盛衰を弁別し、外邪が体内に出入りしている門戸を察知するのです。疾病の本質を見ないで、どうしてその原因を知ることができましょうか?

 刺針の微妙な作用には、補瀉の遅速(ちそく)(ゆっくりとすばやい)があります。未熟な医者は、四肢関節のツボを取ることに心を奪われますが、経験豊かな医者は、病人の体の機微すなわち気血虚実・正邪盛衰の様子を掌握します。人体の機微の変動はツボを離れることはないのです。ツボに現れた気血虚実の盛衰の反応は静謐(せいひつ)で微妙なものです。来るもの、すなわち邪の勢いが盛んであればその勢いを迎えて補法を行ってはならず、気が去ろうとするときは、行くものを追って瀉法を行ってはなりません。病の機微を知っている医者は、的確に補瀉を行いますが、機微の道理を知らない医者は、補瀉に相当するときになっても適時に運用ができません。必ず気の往来を知り、刺針のときを厳格に掌握しなければなりません。未熟な医者は、この点で暗闇にいるのと同じです。優れた医者だけが、その中の微妙な用法を会得しているのです。気が去っていくものを逆とし、気が来るものを順とし、気の往来・順逆をはっきり知って、正しく行えば問題はありません。邪が盛んなら迎えてこれを奪えば、虚にならないことがありましょうか? 気が衰微しているなら追ってこれを済(すく)えば、実にならないことがありましょうか? 迎と随の意味をわきまえてこれを調和すれば、針道はこれに尽きるのです。

 針を行う者は、虚であればこれを充実させ、充満していればこれを瀉し、うっ滞するときはこれを取り除き、邪が勝っているときはこれを弱めます。大要(古代の経書の一篇)にいわれています:ゆっくり刺入してすばやく抜針すれば実になり(補法)、すばやく刺入してゆっくり抜針すれば虚になる(瀉法)のです。実とか虚とかいうのは、すばやい変化なので、有るような無いような状態です。補瀉の前後は、あるときは充実して存在しているようであり、あるときは失われて亡くなるような感覚なのです。虚となし実となす、ということは、虚には得るようにし、実には失うようにすることです。

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