週刊あはきワールド 2017年9月6日号 No.536

夢の轍を歩きながら 第2回

スターバックスの船出

~『白鯨』・ジョン万次郎・小寺敏子先生の思い出~

 冬香 


 
 大学に入って柄にもなく自治委員なるものを引き受けた頃、先輩に連れられて入った喫茶店で初めて飲んだ本格的な珈琲がマンデリンでした。当時の私にはとても苦く感じられ、注文したことを後悔したものですが、たった1年先輩でありながら、大学の自治とはいかにあるべきか、滔々と語るその語り口に魅了され、いつしか私も喫茶店に入ったらマンデリンを探すようになっていました。マンデリンを置いている店は暗い照明の中でアンティークな家具がひっそりと佇んでいるような瀟洒なお店が多く、駒場にあった今はなき「ルバトウイーグル(Le Bateau Livre)」も読書好きにはたまらないお店でした。

 そのような私ですから、最近のシアトル系のコーヒーショップ(喫茶店ではなく)はできるだけ避けているのですが、ロンドンでスターバックスに入った時にふと店名が気にかかりました。「スターバックスとは誰だろう」。調べると答えは比較的すぐにわかりました。スターバックスとは、ある小説に登場する水夫の名前だったのです。

 その小説とはHerman Melvilleの『白鯨』(1851, Moby Dick)です。アメリカを代表する小説でありながら原作者は存命中に評価されることはなく、税関に勤めながら生計を立てるだけで精一杯であったと伝記は伝えます。

 小学校の時分に初めて岩波文庫本でこの小説に接したときは、文章の難解さと耳慣れない地名が連続するために、なかなか読み進めることができませんでした。ただ、挿入されている図版は、物語の悲惨さを象徴するような暗さをたたえ、格調高い翻訳文と相まって強い印象を残しました。

 小説の筋はすでに有名ですが、Moby Dickと呼ばれる白鯨に片足を食いちぎられた屈辱の過去を持つエイハブ船長の、白鯨への復讐譚です。彼は多様な人種の乗組員から構成される捕鯨船「ピークォッド号(Pequod)」を率いてMoby Dickの探索に命を燃やし、Japanese seaでとうとう宿敵を見つけるものの、死闘の末、エイハブ船長は海底に引きずり込まれ、船も海の藻屑と沈んでいきます。

 スターバックスとは、この小説に登場する「ピークォッド号」の一等航海士だったのです。当初、店名を船名のPequodとする予定だったのですが、音が別の意味を持ち、印象が悪いとのことからスターバックスの名前が当てられたとのこと。

 小説『白鯨』は、19世紀において米国が世界でも有数の捕鯨国であったこと、そしてその活動域は日本にも近かったことを教えてくれます(Japanese seaは必ずしも日本近海を意味するのではなく、小笠原諸島、ハワイ、釧路を結ぶ三角地帯を指す当時の専門用語だったようですが)。ペリーが浦賀に来航したのは1853年。その目的の一つは、米国籍の捕鯨船の保護でありました。

 『白鯨』はボストン近郊の港町、Fairhavenという町から幕を開けます。現在では捕鯨博物館があるこの町に、一人の日本人の少年が降り立ちました。少年の名前はジョン万次郎(中濱万次郎)、ペリー来航に先立つこと10年、1843年のことです。

 土佐の漁師の息子だった万次郎は米国籍の捕鯨船に拾われ、ハワイを経由して船長、William WhitfieldとともにFairhavenの町にやってきます。ジョンと呼ばれた少年はそこで差別を受けながらも学校教育を受け、多感な時期を過ごしました。船長に大変かわいがられたジョン万次郎でしたが、船の上では多くの人が亡くなっていくのを目撃、そのゆえか、帰国したら必ず子供のひとりを医師にしようと考えていたようです。

 万次郎は1851年に琉球に上陸。その後土佐藩に登用されますが、1853年にペリーが来航すると江戸に召され、幕府直参となります。中濱の姓はこの時から名乗ることになりました。翌54年に結婚し、3年後の1857年に長男、東一郎が生まれます。東一郎は東京帝国大学医学部に進んだ後、留学してライプツィヒのボフマン教授に師事、帰国後は明治22年(1889)に東京衛生試験所(現国立医薬品食品衛生研究所)所長に任命されています。

 中濱家は東一郎以降、多くの医師を輩出することになるのですが、ひとり西洋医学ではなく、東洋医学にその生涯を捧げた女性がいました。小寺敏子先生(1920-2015)です。
 

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