週刊あはきワールド 2018年6月6日号 No.572

夢の轍を歩きながら 第5回

「永遠のジャンゴ」と「愛を読むひと」

 冬香 


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 19歳の夏、初めてヨーロッパを旅行しました。時間を節約するためにフィンランド航空でまずヘルシンキに入り、フランクフルトからロマンティック街道沿いにヴェルツブルグ、ミュンヘンといった南ドイツの街をめぐり、それから一転して北上。オランダ、ベルギーを経てイギリスへ。夜行列車でエジンバラまで行き、演劇フェスティバルとMilitary Tattoo(タータンチェックのスカートをはいてバグパイプを吹くあれです)を見た後、再び南のイタリアへ。熱い太陽が照りつけるマントヴァ(ミラノ近郊)に建つジュリオ・ロマーノの建築を見物。ミラノでトラベラーズチェックを盗まれたため、ユーレイルパスと手持ちのわずかな現金を頼りにアルプスをのぼったのですが、ここで見た星空が本当に美しかった。そして最後はジュネーブから秋を迎えたヘルシンキに飛び、寒さに震えながら森でムーミン気分を満喫。

 計画性のひとかけらもない旅行でしたが、前年苦労しながら旅行した中国に比べれば断然楽で、トラベラーズチェックを盗まれたことを除けば、愉しい思い出が残っています。

 ただ、当時ヨーロッパに幻想を持っていた私は、ベルギーのブリュッセルでみた物乞いに戸惑いました。グランパラス(中央広場)で顔の浅黒い少年が私の後ろをつきまとってきたのです。振り切ろうと思って角を曲がると、今度は母親らしき女性と二人でいかにもお金に困っているような哀しい顔をしてお金を要求してきます。ようやくの思いで彼らから離れ、しばらく街を見物していたのですが、ふと喉が渇いてマクドナルドに入ると、その親子に再会しました。最初私に気づかなかった二人は、子供が母親の腕にぶら下がり、これ以上ないように嬉しそうな笑顔をして、列に並んでいました。しかし、私の顔を見つけるないなや、再び先のグランパラスでの顔に戻り、私に手を差し出してきました。

 若い女性店員さんが顔を曇らせて二人に何かを告げると、二人は店を出て行きました。私も注文するつもりになれず、間を置いてから店外に出ると、一人の白人が「さっきは大変だったな。ジプシーさ」といって私の肩をたたいて去りました。

 今日のお話は、逗子海岸から歩いて3分の「Cinema Amigo」で観た映画「永遠のジャンゴ」、そして友人に薦められてみた映画「愛を読むひと」についてです。「永遠のジャンゴ」はロードショー時には観ることができず、いつかは観てみたいと思っていた作品です。

 中学生の頃、ギター少年だった時分に読んだ音楽雑誌に、「伝説のジプシーギタリスト」として紹介されていたのがこの映画の主人公、ジャンゴ・ラインハルトでした。雑誌ではくわえ煙草でギターを弾く彼の小さな写真と、彼の編曲による名曲、「マイナースウィング」の一節が課題フレーズとして載っていましたが、曲は真似するにはあまりに難しく挫折。その後はもっぱらレコードで楽しむようになりました。ジャンゴ・ラインハルトを敬愛するミュージシャンは多く、日本では渡辺香津美さんなどもその一人です。東洋医学の世界に入り、鈴鹿で教員をしていた頃、市内の名ジャズ喫茶「どじはうす」で開かれた渡辺香津美さんの演奏を聴いたことがあるのですが(F1好きの渡辺香津美さんは、レースの時期には決まって鈴鹿に寄り、この老舗でミニコンサートを開いていたのです)、アンコールで「マイナースウィング」を演奏してくれた時には、まさに青春時代に戻ったような興奮を覚えたものです。

 映画「ジャンゴ」は戦前のパリを主な舞台として活躍したジャンゴ・ラインハルトの半生を描いたものです。卓越したギターの技術で毎晩のようにパリのホールを賑わしていたジャンゴでしたが、その出自はロマ(ジプシー)でした。ロマはユダヤ人や精神薄弱者、同性愛者などと同様、優生思想をとるナチス・ドイツでは迫害の対象でした。住むところを奪われただけでなく、多くのロマがヨーロッパで収容所に送られ、人体実験の材料に使われたり、虐殺の対象となったのです。ナチス統治下のパリで、奔放な生活を送りながら演奏活動を行っていたジャンゴはその技術を見込まれて宣伝相ゲッペルスの招きを受けますが、危険を察してこれを断り、家族とともに逃避行を始めます。目指すはスイス。正体を隠しながら仲間のロマ集落を転々と移動しますが、スイス国境近くの村でナチスに足止めを食らいます。そこに現れたのは、ドイツ軍に取り入ることでパリの夜の世界を仕切っていたジャンゴのかつての恋人、ルイーズでした。

 ルイーズは、この村でドイツ人将兵を慰問するためにパーティーを企画、そこでジャンゴのバンドに演奏するように依頼します。ジャンゴ達の音楽でパーティー客達を引きつけている間に、まず負傷した英国兵を国境の外へ逃亡させ、その後ジャンゴ達には道案内をつけて山から国境を超えてスイスに逃がすのです。最後のところで計画は露見し、ルイーズは逮捕されますが、ジャンゴはかろうじて雪のアルプスを越えました。

 戦争が終わり、パリに戻ったジャンゴは、盲学校のキャンパス内にあるチャペルを訪れます。ギタリストであっただけではなく、優れた作曲の才能を持っていたジャンゴは、戦争中に死んでいった同胞のロマ達へ向けた鎮魂歌を作曲し、その教会で一度だけ演奏したのです。エンドロールには無数のロマ達の写真が流れます。

 大学で生命医療倫理学の講義を持っていた頃、ナチス・ドイツがロマ達を実験材料にしていたことはよく触れていました。食物を与えず、海水のみを飲ませ、わざと脱水症状を引き起こす実験など、平和に暮らす私たちには信じられないような実験が繰り返されていました。

 「永遠のジャンゴ」を観ていて、ふと気になったことがありました。それは名演奏家で知られたジャンゴ・ラインハルトは楽譜が読めなかったことです。最後のレクイエムも隣に採譜者を置いて作曲をしていました。(映画のラストで演奏された曲は、残された楽譜の断片から書き起こされたものだそうです。)

 そうです。多くのロマは字を読むことができなかった。放浪の旅を続けながら芸で生計を立てる彼らには学校に行くこともなく、字も習うことは難しかったのでしょう。

 ロマを主題にしたと思われるもう一つの映画があります。「愛を読むひと(原題:The Reader)」です。
 

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