週刊あはきワールド 2018年8月8日号 No.581

生命に学ぶ鍼灸医学 第3話

学ぶ姿勢

~言葉を越えて存在そのものに肉薄する~

一元流鍼灸術代表 伴尚志 


■この連載について

 この文章の目的は、鍼灸医学の基礎の解説をすることにあります。東洋医学的な鍼灸を、原理的に煮つめて以下の条項にまとめました。2018年6月より一年間をめどに毎月配信しています。よろしくお願いします。
  1. 東洋医学的な鍼灸を探求した人々は、聖人を目指していました。その聖人とは超能力者ではなく、求道者のことです。
  2. 鍼灸治療の目標とは何でしょうか。その基本は、生命を調えることにあります。そこを見ることができるから、今を磨く養生を提言することができるわけです。
  3. 鍼灸医学は単なる症状とりのための技術ではありません。生を応援するための技術です。深い治病はその後についてくるものです。
  4. 診ることを磨くために弁証論治があります。時系列の問診をして生命の流れを診、四診をして今の状況を診、構造的に考えていくことによってその生命状況を見極めます。
 さて、東洋医学的鍼灸は求道者によって創始され、江戸時代の求道的な精神を背景にして、気一元の身体観とともに花が咲きました。前回お話したことはここまでです。

■第3話「学ぶ姿勢」言葉を越えて存在そのものに肉薄する

 現代と同じように、江戸時代にはさまざまな学派や流派がありました。それぞれその派閥の論にのっとって論争していましたが、自説に固執していたわけではありません。このことは現代の自分自身の心を振り返ればすぐ理解できるでしょう。我々はただほんとうのことを知りたいだけであって、そのための方法として論争をしたり意見を述べ合います。そして自説を改めることを怖れることはありません。

 求道的とは何かというと、真実を求めるということです。何かを前提にしていては真実を求めることなどできません。真実を求めるということは未だ自分は真実にいたっていないということを意味しています。だからこそ求めつづけることができるのです。

 自分は未だ至っていない、だからより自分自身を磨き続ける必要がある。無知を知る、という言葉の意味の本体はここにあります。求めつづけるところに求道的な精神の所在があるわけです。つまり、求道的な鍼灸師はどのような道でも良いから今の不完全な自分をより完成度の高いものへと磨き上げたいと思っているのです。

 そのためには、現代であれば西洋思想であれ精神分析学であれカウンセリングであれ、手当たり次第に勉強していきます。勉強する量があまりに多くてたいへんなため、自分の好奇心の及ぶ範囲で勉強するという限界はもちろん生じます。けれども、そのような限界の中で、勉強を重ねていくわけです。そうやって、人間理解への道をさらに歩んでいきます。治療とはなにか、治療効果が上がるとはどういうことか、といったことに対する理解もまたそのように探究し続けることによって深まっていくわけです。
 

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