週刊あはきワールド 2019年2月27日号 No.607

夢の轍を歩きながら 第7回

異郷からの弔い

~西部邁『友情―ある半チョッパリとの四十五年』と映画「愛を読むひと」~

 冬香 


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 昨年、この連載で映画「永遠のジャンゴ」と「愛を読むひと」を取り上げ、短い文章を書きました。「愛を読むひと」はそうとは書かれていないけれど、「永遠のジャンゴ」の主人公、ジャンゴ・ラインハルトと同様、文盲のロマ(ジプシー)である女を描いた物語であり、戦後のドイツ社会で生きる上で、自分が文盲であることを曝け出すよりも戦時中にユダヤ人の強制収容所送致に関わった罪を負う道を選んだこと、その女を抱いて初めて「男」になった少年は、弁護士になった後、ロマにも女性にも向き合うことを怖れてきたと書いたのですが、それは昨年自死した西部邁氏がインターネット番組でこの映画について語った内容に大いに影響を受けたものでした。

 なぜ西部はあの映画が、ロマの物語であると看破したのだろう。多くの人は「文盲であることを極度に恥じた」ハンナ像をそのまま受け容れているけれど、西部は「アウトカーストとして生きてきたロマとそれを生んだヨーロッパの歴史」の象徴としてのハンナをそこに見たのでした。それは彼の歴史に対する知識や深い洞察からだけではなく、自死したハンナの悲劇(歴史)に彼自身がどこかで共鳴したからではないか、そのような思いが私の中で去来していたのです。

 昨年、冬も近づいた11月の或る日、書店で西部邁の書籍を眺めていたら、『友情―半チョッパリとの四十五年』(青志社)という本が目にとまりました。2005年に新潮社から出版されたものを新装復刊したものです。私は新中野の古い喫茶店「青蛾」で冷たくなった珈琲を脇に260ページを超える本書を一気に読み終えました

 すでにお読みになった方の中には、本書が西部による『死生論』(1994年)や妻の看病記『妻と僕―寓話と化す我らの死』(2008年)と同様、昨年2月の西部氏自身の自裁の予告をなしていると考える方も多いのではないでしょうか。本書は中学から高校時代にかけて、ほんの数年、西部と机を並べ、学内で成績一、二番を争った海野治夫という男が、やがて八九三(ヤクザ)の道に入り、ヒロポンに溺れながらも自らの矜持を保つために自死するまでの過程を、二人の間でやり取りされた手紙を軸に描いた物語です。

 海野の死を、西部は二人の同級生で、共通の友人である女性から聞かされますが、その死が焼身自殺によるものか、それとも入水自殺によるものか分かりませんでした。ただ、組の者に残された遺書から自死であることが知らされるのみです。

 物語は、二人が出逢った中学二年時の思い出から始まります。舞台は札幌市南端にある柏中学。厚別で生まれ育った西部は、遠く離れた札幌の学校へ通っていたわけですが、女物の赤いカーディガンとヒール靴という異様な出で立ちの海野がじゃれる相手を求めて成績優秀だった西部に絡みついてきたのがきっかけでした。
 

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