週刊あはきワールド 2019年4月17日号 No.614

【新連載】未来への灯火 その1

ハンセン病患者の隔離と闘った医師

~小笠原登と東洋医学~

 東郷俊宏 


 2月のある日、地下鉄の駅を目指して歩く道すがら、国立ハンセン病療養所に勤務する医師を募集するポスターを見ました。寒い地下道で足を止め、しばし見入ったのですが、ポスターには、雪が舞う外の風景とは対照的に、豊かな緑に囲まれた療養所とそこに勤務する医師と職員の方の笑顔が映し出されていました。

 明治期にお抱え外国人医師として1876年に来日し、東京医学校、東京帝国大学で内科医として活躍し、教壇にも立ったエルウィン・ベルツ(Erwin von Bältz)は、母国のドイツへ帰国する前に行った講演で、ハンセン病は感染症ながらその感染力は大変小さいこと、したがって強制隔離が必要ないことを訴えていました。ハンセン病は、ノルウェーの医師ハンセンによって病原体となるらい菌が1873年に発見され、感染症であることが分かっていましたが、ベルツは大学病院の外来でハンセン病患者を扱っており、看護師にも見舞いに来た家族にも感染が見られなかったことから、この忌み嫌われた病の感染力が極めて小さいことを経験的に知っていたのです。

 日本で温泉療法を広めたベルツはまた、当時の日本でハンセン病の治療にお灸が使われていたことを記録しています。すなわち、彼が温泉療法の研究を行っていた草津温泉で灸を用いたハンセン病の治療が行われていること、そして日本では唯一、そこでハンセン病の治療が成功しているのを見たとしています(ドイツ、シュッガルトのリンデン博物館Linden Museumにはベルツが記録した、全身に灸痕が残る女性ハンセン病患者の写真が残されています)。
 

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