週刊あはきワールド 2019年5月1日号 No.616

からだに触れる からだで触れる 第11回

「アタマ」と「ハラ」をキーワードに

いやしの道協会会長 朽名宗観 


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11.「アタマ」と「ハラ」をキーワードに

 横田観風創始のいやしの道では「ハラ(肚)」が強調されることはすでに述べましたが、「ハラ」と対照関係にある言葉をあげるとすれば、「アタマ(頭)」になるでしょう。いやしの道では、「アタマ」はひとまず「切れ」ということになります。横田が禅に深く参じ、その経験がいやしの道・創成の土台となっていることもありますが、現代では「アタマ」の働きが過剰になっており、「ハラ」の存在が稀薄になっていることを踏まえてそう言われるわけです。からだの中枢というと、現代では「アタマ」に置かれる傾向がありますが、東洋では古来より「ハラ」とされて来ました。「ハラ」は「生ある本」、「気海丹田」の所在であり、気力、生命力の源であり、「断腸の思い」というように深い感情が根ざすところでもあります。しかし、「アタマ」もからだの一部には違いないので、本来は否定されるべきものではなく、「ハラ」に包み込まれるようなあり方をすれば、いやしの道的にも望ましい働きをするようになると思われます。凡そすぐれた技芸(アート)とは、そのようなところから生まれて来るものでしょう。

 この「アタマ」と「ハラ」というキーワードを使って、鍼という技芸の習得のプロセスについて考えてみたいと思います。鍼灸という技芸(アート)も、一種の身体技法です。見たり、聞いたり、読んだりした情報は、まず「アタマ」で受け止められますが、技芸はもちろんそれだけでは機能しません。「アタマ」を通して外から入った情報がからだの内へと次第に浸透していき、その核となる「ハラ」にまで達し、そこで熟成してまさに腑に落ちるように納得がなされて、技が「ハラ」から自ずと湧き出て来るように手から現れ、いやし手としての練られた気がからだ全体からにじみ出す、というのが理想的な姿でしょう。
 

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