週刊あはきワールド 2019年6月26日号 No.623

あはきメンタル~動きの心理編~ 第7回

技の学び(3)

目白大学大学院心理学研究科教授 奈良雅之 


◎第6回 技の学び(2)
◎第5回 技の学び(1)
◎過去記事≫≫  もっと見る
 
 私たち日本人は、条件反射を説明するとき、梅干を見るだけで唾液が出ることを例として用います。ところが、梅干を食べる習慣のない海外の人にこの例を引用してもうまく伝わりません。梅干は「梅の実を塩漬けした食べ物である」という知識だけでは、それを見ただけで唾液は出てくれません。梅干を食べることでどのような感覚が発生するのか、身をもってわかっていることが、梅干を食べるときの反応が条件反射を説明するときの例になる前提として必要になります。

 しかしながら、梅干が「食べ物である」ということを知らないと、口に入れるという行動は起こりません。学びの第一段階で、「知る」ということは重要です。

 陰陽論が「わかる」、腹診が「できる」などの感覚は、その学びの過程を遡っていくと、見る、聞く、読むなどの手段で課題を「知る」ことから始まっています。技の学びにおける「わかる」や「できる」は、その前段階として、「知る」ということから始まります。

 梅干も、それが「食べ物である」と知ることによって、口に入れることができるように、スポーツの学びも、まず、その競技のプレーの仕方やルール、技術を知識として知り、次にその競技の動きの見本を見て知識を広げ、最後に体験することで、その楽しさや面白さを理解することができるようになります。

 ここでは、技の学びを考える前提としての「知る」と「わかる」について、尼ヶ崎彬氏の『ことばと身体』(1990年、勁草書房)を視座としてお話したいと思います。

(続きはログイン・ご購読後にお読みいただけます)

この記事の続きをお読みいただくためには、週刊『あはきワールド』(有料コンテンツ)のご購読手続きが必要です。

ご購読の申し込み ログイン(ご購読済みの方はこちら)




トップページにもどる