週刊あはきワールド 2020年1月8日号 No.648

■インタビュー 『からだに触れる からだで触れる』の著者・朽名宗観氏に聞く!

「触れる/触れられる」からわかるもの

~生命共感への手がかり・足がかりに~

 【聞き手】あはきワールド編集人 


 
いやしの道協会会長の朽名宗観さんが著した『からだに触れる からだで触れる~「生命共感」への手がかり・足がかりとして~』が昨年11月に上梓された。「触れる」について多方面から考察したその本の中身も気になるが、本に書かれた著者の経歴にも興味がわいてきて、その人生にも触れてみたい。そう思うと、ぜひとも会って話を聞いてみたくなり、インタビューさせてもらった。

 

朽名宗観(くちな・そうかん)

 1960年生まれ。本名、輝臣。早稲田大学第一文学部卒。1996年、東京医療専門学校本科卒業、1998年、「くちな治療室」開業。22歳より坪井香譲師創始の身体技法・気流法によって「身体の文法」の発想と実践を学び、指導員として国内外の講習会に携わる。専門学校卒業後、横田観風師提唱の「鍼灸による日本的ないやしの道」に参じ、古方漢方の薫陶も受ける。現在、いやしの道協会・第3代会長。2009年より相模女子大学非常勤講師(代替医学、ソマティックス演習)。著書に『からだに触れる からだで触れる~「生命共感」への手がかり・足がかりとして~』(ヒューマンワールド)、共著に『看護教育と実践』(編著/古閑博美、学文社)がある。

 

生まれて初めてサインを求められる


朽名宗観氏
―― 朽名さんが『あはきワールド』で連載されている「からだに触れる からだで触れる」に大幅に手を加えられ、また第2部として「スタンド・バイ・ミー~統合失調症・認知症患者の在宅療養での試み~」を合体される形で『からだに触れる からだで触れる~「生命共感」への手がかり・足がかりとして~』が出版されました。まずは、おめでとうございます。

朽名どうも有難うございます。本にする話は一昨年の5月から出ていたことなので、ようやく発刊されたという感じです。昨年の11月23日に開催された日本伝統鍼灸学会に講演者として出席しましたけれども、休憩時間に出番を待ちながら会場の座席に座っていると、近くにいた方から声をかけられ、「先生の本を購入しました。面白かったです。サインを頂けますか」と言われて本とペンを渡されたのにはちょっと驚きました。

―― サインですか。よほど、気に入っていただけたんでしょうね。編集にかかわった者として、私もうれしくなりますね。でも、そういう方がいらっしゃるんですね。

朽名見知らぬ方からサインを求められたのはそれが初めてだったので照れ臭いやらで、「書き込みをすると、古本屋に売れなくなりますよ」と言いながら、サインさせていただきました。

―― サインまでもらった方がまさか、古本屋はないでしょうが、さて、その『からだに触れる からだで触れる』についてもいくつかお聞きしたいのですが、その前にまず、本の内容とは関係ない話題から入らせていただければ、と思います。よけいなことを聞くかもしれませんが、よろしいですか。

朽名ああ、そうですか。どんな「よけいなこと」を聞かれるのか、ちょっと楽しみです。

親戚以外には、朽名という名字の人に出会ったことはない

―― まずは、いつか聞いてみようと思っていたのですが、朽名という名字は珍しいですよね。朽名さんのご出身、さらには、ルーツはどこなんでしょう?

朽名僕もまだ親戚以外には、この名字の人に出会ったことはないんです。父親は名古屋生まれですけれども、子どものときに愛知県豊橋市の親戚の家に養子に出されて、その家の姓が朽名だったんです。「朽木」や「忽那」は割とあるんですけれども、「朽ちる名」というのは変な名前だと思います。

―― 朽名さんも親戚以外、出会ったことがないくらいですから、相当珍しいんですね。

朽名人から字を聞かれる時は「不朽の名作」の「朽」と「名」ですと言っています。イタリア語で「クッチーナ」というと「台所」の意味ですが、父親は去年引退するまでずっとステーキハウスのオーナーシェフをやっていました。若い頃にアメリカ人の友人から北米先住民のホピ族の精霊を「カチナ」ということを教えてもらったんですけれども、それ以来、僕はその方にあやかりたいと思っています。

学生の頃はモラトリアム人間だった

―― 「不朽の名作」も「クッチーナ」も「カチナ」も、思わず膝を打ちたくなりますね。さすが文学部ですね。文学部といえば、朽名さんの経歴ですが、これまた非常に興味深いですね。本の「おわりに」で前歴について触れられています。それによると、大学を卒業されたあと、旧築地青果市場でアルバイトをしながら30代初めまで気流法の稽古を続けていたとあります。朽名さんは早稲田大学文学部ですよね。早稲田といえば、有名大学ですから就職には困らないように思えるんですが、就職せずに、アルバイトを続けられたのは何か理由があるのですか?

朽名僕の大学生時代は1980年前後になりますが、その10年前というと70年安保で学生運動がピークを迎えていましたけれども、80年頃はそういう風潮は全く影を潜めて静かなものでした。

―― 私も同世代ですから、よくわかります。

朽名大学の近くにその頃よく友だちと入り浸っていた名物ジャズ喫茶があって、そこのママさんから70年安保時代に学生運動のリーダー的な存在だったという先輩を紹介されたんです。当時はテレビ番組の制作会社で役職に就いていて、のちには報道番組のキャスターも務められましたが、大学は中退して、その後は長いこと旧築地市場でアルバイトをしながら剣道の先生をして、ときどき週刊誌に記事を書くというようなことをしていたというんです。その方と会って、大学を出たら就職するばかりではなく、そういう生き方もあるんだなと思いました。

 僕にはその頃、このまま就職して生活の糧を得るために働くのに多くの時間とエネルギーを取られるのは避けたいという気持ちがあったんです。何だかよくわからないけれども、どこか精神的に満たされていないものを感じていて、それはなおざりにはできないものだったんです。だから大学3年までは留年して学生でいて、もう少しモラトリアム状態を続けようと思っていたので単位を相当落としていたんです。

―― その頃は、小此木啓吾が書いた『モラトリアム人間の時代』がベストセラーになった時代ですよね。そういえば、私の周りにもモラトリアム人間が結構いました。

気流法との出合いが人生を変えた!

朽名でも、4年になってから急に学生の身分でいるのが嫌になって来て、親の手前中退するわけには行かないので、1年間で履修できる規定の単位数をオーバーすることを認めてもらう「単位超過願い」というのを大学に出して単位取得はクリアーして、ほとんど就職活動をすることもなく卒業してしまいました。当時も新卒でないと、就職には不利だったので周りからは反対されましたけれどもねえ。

―― それは反対されるでしょうね。

朽名そして、卒業間際に知ったのが、坪井香譲先生が創始した気流法だったんです。僕は文学部のいわゆる文学青年だったので頭で考える、想像することはやっていたけれども、そうではなくて、からだを通して物事と出会う、関わっていくこと、リアリティに触れることをやっていきたいという漠然とした欲求が湧き出て来たんです。もしこのとき禅者のすぐれた先達との出会いがあれば、禅に行ったかもしれませんが、僕の場合は気流法だったということです。坪井先生が書いた『極意』という本に合気道の開祖・植芝盛平翁の「私は全身の血液でものを考えて来た」ということばが引用されていて、自分もそういうことを目指したいと思ったんです。坪井先生はだいぶ前に合気道からは離れて、気流法を創始していたので、それが気流法を始めるきっかけとなりました。
 

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