週刊あはきワールド 2020年5月6日号 No.664

シリーズ<いやしの振る舞い学>を工夫する 第4回

在宅療養の現場からの報告(4)

さようならさよなら元気でいてね

いやしの道協会会長 朽名宗観 


うつ症状から寝たきりになる

 杉沢さん(74歳、女性)は仰向けに寝たままでいる時間が多く、寝返りもほとんど自力ではできない。介助者の助けを借りて椅子に坐ることはできるが、まっすぐな姿勢を保つことが難しく、もたれるものがないとすぐにバランスをくずして上体が倒れてしまう。下肢の筋力が廃用性萎縮によって弱っており、自分で立つことはできなくなっていた。ポータブルトイレがベッドの横にあり、誰かの介助があればそこで用を足すことができるが、数年の往療を経て亡くなる間際となった頃には紙おむつをしており、小便はそれにすることが多くなっていた。

 左手はコップを持つ程度のことはなんとかできるが、左肘関節の拘縮が進んでおり、そのコップを口にまで運ぶことはできない。右腕は肩関節の亜脱臼を繰り返したため、可動域に著しい制限があり、日常的な生活動作でもほとんど使われることはなかった。都心のマンションで御主人との二人暮らしだが、肩関節の亜脱臼を繰り返したのは、非力でなおかつ認知症の御主人がポータブルトイレ使用の介助をする際に強引に腕をつかんでひっぱったことによるものだった。御主人の力の衰えと認知症が進み、トイレの介助役として当てにできなくなってからは肩を脱臼するおそれはなくなったが、そのかわりに紙おむつが不可欠になったのである。

 杉沢さんが元気な頃は、クリーニングの職人を多く抱える会社の経営者として敏腕を振るい、仲人として数多くのカップルを誕生させるような世話好きで、活動的な人だった。からだは不自由になっても、今だに頭の回転は衰えておらず、口は達者である。それがかえって、寝たきりの状態なために、あれこれ思い悩み、悶々としてしまうことにつながっていたとも言え、常用薬としてデバスと就寝前のお酒が欠かせなくなっていた。

 寝たきりになったのは、重篤な整形外科的な疾患があったわけでもないし、内科的な疾患があったわけでもなかった。原因はうつによる気力の低下が、からだを動かすことを億劫にさせ、ベッドに横たわっている時間が増えるにつれて全身の廃用性筋萎縮を招き、多くの日常生活動作が自力ではできない状態にまでなってしまったのである。

 私の仕事は、腰痛と肩背の頑固な凝りを鍼灸治療によって緩め、全身の血行改善を促すマッサージおよび上肢の関節拘縮をとく徒手矯正を行った後、上下肢の自動運動法を促すことだった。

 施術が終わって帰ろうとすると、杉沢さんは自分が唄えるただひとつの歌だと言って、都はるみの「好きになった人」を唄うのが恒例になっていた。「さようならさよなら元気でいてね(略)待って待って/待っているのよ 独りでいるわ/さようならさよなら好きになった人」の歌詞を踏まえて、私は「また来ますから、杉沢さんも元気で待っていて下さい」と応じるのが別れの挨拶となっていた。

 往療を始めて5年が経った1月はじめに新年初の往診をした日も、顔色がいつもより白いと思う以外は特に変わりはなく、施術後、私はこの歌を聴いていつも通りのことばを返して帰ったが、まさかそれが杉沢さんとの最期の会話になるとは思ってもいないことだった。

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