週刊あはきワールド 2020年6月3日号 No.668

シリーズ<いやしの振る舞い学>を工夫する 第5回

在宅療養の現場からの報告(5)

天寿をまっとう

いやしの道協会会長 朽名宗観 


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患者が意識を失うのを目の前にして

 都心部にある高級といって良いマンションの表玄関を入り、1階の受付にいる女性に会釈をして、さらに奥にある居住者用スペースに進み、ドアのオートロックを解除してもらった。普通はそのドアの横にあるボタンで訪問先の部屋番号を押して、訪問する相手に来訪を知らせてロックを解除してもらうのだが、私が往療しようとしている川上さん(仮称)には認知症があり、うまくその対応ができないので、特別に受付嬢が入り口を開けてくれることになっていた。1年以上、通っているので受付嬢も私の顔を見れば、ことばをかわさなくてもすぐに応じてくれるのである。

 エレベーターで3階まで上がり、川上さんの部屋の前に着いてからベルを鳴らした。そこまではいつもどおりだったが、この日はベルを押してもなかなか返事がなかった。川上さんは奥さんと二人暮らしで、昼間は奥さんは仕事のため留守にしており、川上さんがひとりで私の訪問を待っているはずだった。川上さんはある中小企業の創業者だが、80代半ばを過ぎ、認知症の症状が強くなって来たので引退し、会社経営は奥さんが担っていたのである。

 10分以上待ったが、応答がなく、電話をしても通じない。訪問する曜日と時間は決まっているので、私自身がそれを間違えるはずもないと思ったが、念のため手帳で予定を確認したが誤りはない。すると、鍵を回す音が聞こえて来たので、こちらからドアのノブを握って引くと、眼の焦点が中に浮いているように定まらず、立っているのがやっとという様子の川上さんが玄関にいた。何かを言おうとするが、ろれつまわらず、手を壁につけてからだを支えながら覚束ない足どりで居間に戻り、施術用に敷かれている蒲団に横たわってそのまま意識を失ってしまった。わずかながらも口角からはよだれが垂れている。声をかけても応じる気配がまったくなかった。

 在宅療養の経験がまだ浅い頃で救急車を呼ぶべきか、大いに迷ったが、少し様子をみることにした。すると、20分を過ぎた頃から呼びかけに反応するようになった。眼があき、視線はこちらの動きを追い、「だいじょうぶですか」と問うと、「だいじょうぶです」との返事があった。また、「ここがどこかわかりますか」「自分の名前を言って下さい」「私が誰だかわかりますか」などの質問にも、聴き取れる声で正しい答えが返って来たので、私の緊張感もほぐれて来た。手足の曲げ伸ばしなどをしてもらったが、これも問題はなかった。

 この方は片麻痺などの後遺症はないが、陳旧性脳梗塞の既往があり、認知症の原因もそれによるものと診断されていた。おそらくこのとき、軽い一過性脳虚血を発症していたのではないかと思われる。会社にいる奥さんに電話で事情を知らせ、早目に帰宅してもらうことにした。

 後日、知り合いの内科医にこのときの状況を話すと、救急車を呼んでもおかしくなく、たとえ意識が戻ったとしても救急隊員は納得してくれるだろうとのことだった。治療院に来られる患者さんとは違って、在宅療養者を往療する場合、ときにこのような緊急の判断が必要とされる場合がある。

 川上さんではなく別の方を往療したときのことだが、その方は90歳過ぎの男性でイレウスの既往があった。朝から軽い腹痛を訴えているというので、腹診をしてみると普段は見られないかなりの腹張満があった。家族に定期的に往診して来る医師に電話で相談することを薦めた。便通やガスがあったのでイレウスの疑いは除外され、医師からはしばらく様子を見ましょうとの返事だった。しかし、この方は、その晩に亡くなったのである。死因は脳梗塞だったが、私も脳梗塞を発症するとはまったく予想していなかったし、昼間に医師が往診したとしてもそこまで見通すことは難しかったであろう。

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