週刊あはきワールド 2020年9月2日号 No.680

シリーズ<いやしの振る舞い学>を工夫する 第8回

鼠と話すのもなかなかつかれる~治療家のイニシエーションの物語~(2)

3.物忘れ、霊忘れ、者忘れ 4.お盆の思い出

いやしの道協会会長 朽名宗観 


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3.物忘れ、霊忘れ、者忘れ

 さて、またレイム・ディアーのヴィジョン・クエストの話にもどりたい。ここでは孫の成長のための儀式に祖父母が重要な役割を果たしており、両親は表には出てこない。両親は世俗的な仕事を担う存在であり、霊的な修行に関わるようなことは長い年月を生き、祖先とのつながりもより近しい爺さま、婆さまが取り仕切るのがふさわしいということなのであろうか。大人になるための試練に臨む孫が、自分のために懇切な世話をしてくれる祖父母を心から敬愛するようになるのは自然なことである。

 この話に登場するアメリカ先住民の老人は、偉大なる聖霊との「つながり」を生き生きと保っており、「祈り」を幼少のころから骨身に染みわたらせている。「祈り」とは、何らかの〈大いなるもの〉や〈陰の世界〉(神、仏、自然の力、精霊など)とつながろうとする営みに他ならない。これは、孤独にならないための有力な方法でもある。

 もちろん、家族、親族、友人、身近な人との「つながり」があることが、孤独に陥らないためには何よりも大切なことは言うまでもないが、人はいつまでも傍らにいるとは限らない。人との「つながり」は、無常なものであり、この点は今も昔も変わらない。しかし、この「祈り」の力や〈大いなるもの〉〈蔭の世界〉と感応しようとする力が、若い世代ほどではないにしてもお年寄りの間でも、戦後になって戦前の教育や文化が否定され、さらにかつてない物質的な繁栄に重きを置いた生活態度によって減じる傾向があるように思われる。
 

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