週刊あはきワールド 2021年1月13日号 No.697

偏屈人的私講釈2(上)

『黄帝内経』は鍼医学の書なのか(1)

~『黄帝内経』と鍼医学の関係は・原『黄帝内経』は鍼医学の原典か~

くすえだ鍼灸院 黒田俊吉 


『黄帝内経』と鍼医学の関係は

 私は、週刊「あはきワールド」の2020年11月11日号No.689の「偏屈人的私講釈 「酔以入房」から見えて来る気の世界」「道教の気と鍼医学の気の確執(2)」で鍼医学の誕生について「ほぼ常識的となっているのは、『黄帝内経』が出来た時が、鍼医学の体系の骨格が出来上がった時であろうということです。」と書いてしまいました。

 拙書『鍼灸医学の基礎と来歴』(たにぐち書店)や『気とは何か、その意味を探る』(同)でも同じ論調で書いてしまっています。

 鍼灸について、ここ数十年特定の勉強会に所属していなかったので、最新の情報に接する機会が少なく、自分の思い込みで書いてしまったことも否めません。

 ただ文献的には、小曽戸洋・天野陽介共著『針灸の歴史』P.74に「『黄帝内経』は周知のとおり最も古い中国医学古典で、陰陽五行論に則った医学理論が書かれ、針灸による治療術が述べられている。今日、『黄帝内経』の名を冠するテキストとして『素問』『霊枢』『太素』『明堂』の四書が伝えられている。」と書かれているので、私の考えもそれほど間違ってはいないと思われました。

 おおもとの『黄帝内経』(以下、原『黄帝内経』とする)はすでに亡佚されていて、現在には伝わっていませんが、その内容が現存する『黄帝内経素問』に伝承されているとされています。

 『黄帝内経素問』の内容は、戦国末期(紀元前300~200年頃)から秦(紀元前221年~紀元前207年)漢(前漢、紀元前206年~紀元8年)の約300年間の論文と、さらに後漢(紀元28年~紀元220年)や三国時代を経て、東晋の成立時期(紀元317年)頃までの約300年間、紀元前後合計約600年間くらいの間の医科学系論文から成り立っていると推論されています。

 『黄帝内経素問』の中に亡佚された原『黄帝内経』の内容が入っているなら、原『黄帝内経』が成立するまでの時代、戦国末期から秦・前漢くらいまでの約300年の医学論文が含まれていてもおかしくない、ということになっているようです。

 しかし拙論「道教の気と鍼医学の気の確執(2)」では、養生思想の気と鍼医学の気は別の理論体系ではないかという私論を展開させていただきました。

 同様に、鍼医学は鋼鉄の鍼による治療体系で、それ以前の砭石と灸および薬方の治療体系とでは、気血に対する考え方が違っていたと考えざるを得ません。

 砭石と灸による治療は、気血論的には血の治療体系でしょう。

 経絡の原型とされる、馬王堆医書の「足臂十一脈灸經」や「陰陽十一脈灸經」という脈として現される体の流れは、脈という開放系の気の流れだと言えます。これは呼吸法などの養生法の体系から発生したのではないかと、私は推論しているのです(拙書『鍼灸医学の基礎と来歴』P.227~を参照してください)。

 この「足臂十一脈灸經」や「陰陽十一脈灸經」という脈は、養生法として考えられ、さらに養生法の延長線上として、ある程度の病の療法として進展してきたものではないでしょうか。

 現在、治療と養生を混ぜこぜにしている傾向にあります。医療という範疇で言えば同じだというかもしれません。

 しかし養生とは基本的に個人が自分の生活を見直し健康の増進を図ることを目的に行うものです。

 治療とは治療人が、病を患ったり、けがをした患者を、種々の方法で治すことだといえます。

 このとおり、医療と養生は基本的な考え方が違っているのです。
 

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