週刊あはきワールド 2021年4月7日号 No.708

■インタビュー 『ゆがみ取りSPAT』の著者・鹿島田忠史氏に聞く!

ゆがみ取りSPATはいかにして生まれたか(上)

~それは操体法との出合いから始まった!~

 【聞き手】あはきワールド編集人 


 
ゆがみ取りSPATの開発者である鹿島田忠史氏が著した『ゆがみ取りSPAT 上巻 総論・骨盤編』が昨年10月に上梓され、間もなくその続編の『ゆがみ取りSPAT 下巻 胸椎・頸椎編』が発行になる。鹿島田氏は東京都内で誠快醫院を営む医師である。そもそもなぜ医師が新しい手技療法を開発し、がんなどの難病患者の臨床でもその手技療法で施術しているのか。「普通の医者ではない」。誰しもがそう思うに違いない。インタビューを通して、普通ではない鹿島田氏の半生とゆがみ取りSPAT誕生秘話に迫ってみる。

 

鹿島田忠史(かしまだ・ただし)

 1948年東京生まれ。1973年横浜国大工学部建築学科卒業。積水ハウスなどに4年間勤務。その後医療に転進し、1980年あん摩マッサージ指圧師、翌年柔整師免許取得。直後1年間温古堂にて研修する。1989年東邦大学医学部卒業、同年医師免許取得。1991年操体法の理念を柱とする誠快醫院を開業し、以来30年間がんなど難病を中心に診療している。著書に『がんを再発させない暮らし方』(主婦の友社)、『ゆがみ取りSPAT 上巻 総論・骨盤編』(ヒューマンワールド)などがある。

 


鹿島田忠史氏
―― 昨年10月、『ゆがみ取りSPAT 上巻 総論・骨盤編』を出版されましたが、その続編となる『ゆがみ取りSPAT 下巻 胸椎・頸椎編』を間もなく上梓されるそうですね。

鹿島田はい、4月15日発行です。DVDを撮影したのが、去年の1月から2月にかけてですから、それから1年以上かかりましたが、ようやく上下巻が完成しました。


ゆがみ取りSPAT 上巻―総論・骨盤編―【実技DVD付】(鹿島田忠史著)
『ゆがみ取りSPAT 上巻 総論・骨盤編』
の表紙
 実は、100%自分で原稿を書いたのは、今回が初めてです。今まで出版した本では、一部か大部分をライターに手伝ってもらいました。今度の本では毎日少しずつ書き進み、気がついたら上下巻で400ページ、50万字を超えました。体力の限界を感じる年齢となりましたから、ゆがみ取りSPATの教科書的な本を書くのもこれが最後でしょうね。

―― まさに集大成といえそうですね。その『ゆがみ取りSPAT』についても、いくつかお聞きしたいのですが、その前に、鹿島田さんご自身の話をお聞かせ願えれば、と思っています。


鹿島田何でしょう?

建築の道を歩むも、そこで挫折

―― 「人生いろいろ」って歌がありましたけど、人生はまさにいろいろ。鹿島田さんの経歴が、実に面白い。面白いというと、怒られそうですが、一流大学を出られて、有名企業に勤められて、順風満帆かと思いきや、そこで何があったのか、そのあと、あん摩マッサージ指圧師、柔道整復師、医師と資格を取られています。波乱万丈の匂いがしますが、なぜこっちの世界に入ってこられたんですか。

鹿島田自分でも、小さい頃に想像していたのと全然違う人生を歩んでいることに、びっくりしています。中学校までは、そこそこの成績で都立の進学校に入学できました。まわりの人間が一流大学を卒業して、大企業や官庁に就職するのをめざしていたので、そうした空気に染まって一流大学に入学するのが目標になってしまいました。

―― こどもですから、朱に交われば赤くなりますよね。

鹿島田はい。ただ当時から、最終的には、人に使われず独立して仕事したいと思っていました。なぜ、そんなことを思ったかというと、江戸時代から続く商家の血が騒いだからかもしれません。父方の親戚には、いわゆる堅気のサラリーマンがほとんどおらず、漫画家や画家、囲碁棋士、自営業、IT企業経営者などの普通でない人ばかりでした。

―― わたしもサラリーマンには向いていないと思っていたので、その当時の鹿島田さんのお気持ち、よくわかります。

鹿島田そこで、人に使われず独立して収入があり、聞こえのよい職業として思い浮かんだのが建築設計事務所の所長でした。それで、建築学科のある大学を受けたのですが、当時は高度経済成長時代の真っ盛りで人気があり、軒並み落ちました。軒並み落ちたのも当然で、進学高校入学イクオール一流大学合格、という保証なんてどこにもないという、事実に気づかなかったからです。

―― 受験失敗? 浪人したんですか?

鹿島田2年間も浪人し、何とか横浜国大の建築学科に入学できたのです。けれど、入ってから設計の講義を受けて大失敗だったことが分かりました。字は下手で書いた図面を見て自分でもうんざりするし、建築の設計に必要なデザインの才能がまったくないのは、うまい人の図面を見ればすぐに気づきます。

 これは困った、と思い悩み、デザインの才能がなくても何とかなりそうな設備設計の分野に進んだのです。でも、こちらはこちらで建築の世界では脇役なので、下請けの仕事しか回ってきません。仕事量の割合に単価が低く、一生辛い人生が続きそうで、正直人生に希望が持てなくなっていました。

―― SPATの大先生がそんな挫折を味わっていたとは……。人生って順風満帆にはいかないものなんですね。

あマ指師と柔整師のダブルライセンス取得へ

鹿島田そうなんです。それで、どうしよう、と思い悩んでいるとき、家業の指圧治療院に目が向きました。

―― えっ? 指圧治療院が家業だったんですか。

鹿島田母があん摩マッサージ指圧師なんです。

―― そうだったんですか。それで、指圧治療院に目を向けたんですね。

鹿島田正直、一流企業の社員です、といった見栄は張れないけれど、人には使われないし、仕事はコンスタントにあるし、収入も生活が成り立ちそうだったからです。それでも、最初は欲を出して医学部を受け直し、一つだけ一次試験を突破できたのですが、学費の問題で断念しました。そこで、あん摩マッサージ指圧の専門学校と、柔道整復専門学校の2校の昼・夜間部を掛け持ちし、1981年に卒業しました。

―― 今では、鍼灸と柔整のダブルスクールは珍しくありませんが、その当時、あマ指と柔整のダブルスクールは珍しかったんじゃないですか?

鹿島田はい、ほかにはいなかったように思います。

―― そのとき、鍼灸学校という選択肢はなかったんですか?

鹿島田建築に行き詰まったときに、家業としていたあん摩マッサージ指圧になじみがあったので、自然にその方向に進んだのが一番の理由です。そのほかに、もともと工学部という「もの作りの世界」にいたので、「気」という眼に見えないものがピンと来なかったこともありますね。それと、母親が卒業したのが、カイロプラクティック系統の手技を取り入れている専門学校だったのです。それで、カイロがいう「諸病の原因は脊柱のゆがみ」という、何とも工学的発想に惹かれた面もあります。

操体法との出合い…橋本敬三先生の魔法のような施術にビックリ!

―― そうですか。そういう紆余曲折があって、斯界に入ってこられたんですね。では、操体法との出合いについて聞かせてもらえますか?
 

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