週刊あはきワールド 2021年4月28日号 No.711

『ゆがみ取りSPAT 下巻 胸椎・頸椎編』へのいざない 下

『ゆがみ取りSPAT』には開発以来20年の知識と経験をすべて盛り込んだ

~『ゆがみ取りSPAT 下巻 胸椎・頸椎編』の「あとがき」より~

 鹿島田忠史 


 
 このほど、『ゆがみ取りSPAT 下巻 胸椎・頸椎編【実技DVD付】』を上梓いたしました。ここでは、本の紹介を兼ねて、前号の「まえがき」に続き、「あとがき」の一部を転載させていただきます。(編集部)

あとがき

ゆがみ取りSPAT 下巻 胸椎・頸椎編【実技DVD付】(鹿島田忠史著)  1977年の初春、先の見えない不安に満ちた毎日を送っていた私に転機が訪れた。横浜国大工学部を卒業したのち、積水ハウス、中堅設計事務所勤務と世間的には順調な道を歩んでいたが、会社員への適正のなさをしみじみ自覚し思い悩んだ末、医療の道に方向転換したのだ。退職直後に医学部を受験し、学科合格した大学がありながらも経済的理由で進学を断念。1978年にカイロプラクティック系のあん摩マッサージ指圧学校に入学した。だが、学科と実技を学んでも、工学と違い病気(故障)と治療(修理)の関係がスッキリと理解できなかった。このまま卒業しても自信を持って仕事をすることは難しいと、暗い日々をすごしていた。

 1980年の春、当時話題になっていた操体法の講習会が秋葉原で開催された。「何かがありそう」という予感を持って参加したその講習会がきっかけとなり、同年の夏休みに仙台の温古堂に見学に行った。温古堂の火鉢の前にどっかと座る橋本敬三先生の、本物だけが持つ近寄りがたいオーラに圧倒され、「この先生こそ私の求めている真の理論と治療法を教えてくれる人だ!」と直感した。

 1982年、あん摩マッサージ指圧学校を卒業後、仙台に転居した私は1年間、研修生として温古堂に通うようになった。恩師橋本敬三先生の施術を目の当たりにし、操体法の背景や医学・健康増進の理念などについて教えを受けたあの頃の情景は、今でもありありと思い出す。思えばこの研修生時代こそ、表面的な知識ではなく実践での武器として使える操体理論を身につけられた時期だった。

 帰京後は指圧の治療院を開業し、施術を続けていたが、操体理論を真に生かすためには扱える病気や施術の範囲に制限があると不満を持つようになった。そこで一念発起し、医学部受験に再挑戦。周囲の協力もあり東邦大学医学部に入学、1989年に卒業し、医師免許を取得することができた。医学部での教育を受けても操体理論に対する信頼はすこしも揺らぐことはなく、むしろ診断や治療の底に流れる根本的な法則だとの確信を深めた。

 1992年に誠快醫院を開業したときに心に決めていたのは、硬直的な保険医療に縛られず、操体理論を基本理念として自由に実践できる場にしよう、ということだった。そこで医院開業後も操体法の施術を自ら行い、操体理論に基づいた生活習慣の改善を提案することで、患者さんの根本的な治癒を目指してきた。そうして操体法施術を続けていく中で、ゆがみ取りの矯正を取り入れる必要性に気づき、ゆがみ取りSPATを開発するに至った。現在も操体理論という確固たる医療法則を常に念頭に置くことで、自信を持って医療活動を続けられている。このように充実した医療人生を歩めるのも、一重に恩師橋本敬三先生のお導きで、どれだけ感謝の言葉を述べても言い尽くせない。

 上巻のまえがきでも述べたが、2018年10月にⅣ期の大腸がんで手術を受け、人生に終わりがあることを否応なく意識させられた。そこで、開発以来20年の知識と経験をすべて盛り込んだ、ゆがみ取りSPATの教科書的な書籍を遺したいとの思いが募ってきた。宮城県の稻田稔先生のお勧めで、たまたま原稿を投稿したあはきワールドの石井利久氏から「SPATの本を出しませんか」という提案をいただき、渡りに船という思いでお受けすることにした。昨年初めのビデオ撮影以来1年以上を要したが、ようやく下巻まで発刊することができた。発刊にたどり着くまで、以下に挙げるたくさんの人や会社にお世話になった。ここに、深甚なる感謝の意を表したい。(後略)

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