週刊あはきワールド 2021年6月2日号 No.716

【対談】 ゆがみ取りSPAT臨床応用の実際(2) 吉澤亮 × 鹿島田忠史

じり貧整骨院が最後の望みのSPATで破綻回避


◎(1)石川明人 × 鹿島田忠史
    SPATがなければ私の接骨院は存在しなかった
 
 『ゆがみ取りSPAT下巻』が2021年4月に刊行され、2020年10月発行の上巻と合わせて全体が完結した。開発の経緯については、4月のインタビュー記事(4月7日号、4月14日号)をご一読願いたい。このシリーズでは、実際の臨床場面でゆがみ取りSPATを早くから取り入れている何人かの治療家に登場してもらい、私と対談してもらうこととした。第2弾のお相手は、『ゆがみ取りSPAT』の講習開催資格を持つ指導講師の吉澤亮氏。ゆがみ取りSPATを臨床応用している治療家の生の声を聴くことは、これからゆがみ取りSPATを取り入れるかどうか検討している治療家にとって、とても参考になるはずだ。(鹿島田忠史)
 

吉澤亮氏                         鹿島田忠史氏













吉澤亮(よしざわ・りょう)

1978年生まれ。
1994年 私立駒場学園入学
1997年 同校卒業
1999年 日本柔道整復専門学校入学
2002年 同校卒業
2002年 日本鍼灸理療専門学校入学
2005年 同校卒業
2006年 柔道整復師の専門学校時代の友人と横浜市都筑区仲町台に『よこはま鍼灸整骨院』開業
2008年 同院の院長に就任
2021年 株式会社ROD(よこはま鍼灸整骨院 仲町台本院、よこはま鍼灸整骨院 北山田院、Refuge鍼灸院)CTO(最高技術責任者)就任

鹿島田忠史(かしまだ・ただし)

1948年東京生まれ。1973年横浜国大工学部建築学科卒業。積水ハウスなどに4年間勤務。その後医療に転進し、1980年あん摩マッサージ指圧師、翌年柔整師免許取得。直後1年間温古堂にて研修する。1989年東邦大学医学部卒業、同年医師免許取得。1991年操体法の理念を柱とする誠快醫院を開業し、以来30年間がんなど難病を中心に診療している。著書に『がんを再発させない暮らし方』(主婦の友社)、『ゆがみ取りSPAT 上巻 総論・骨盤編』『ゆがみ取りSPAT 下巻 胸椎・頸椎編』(ともにヒューマンワールド)などがある。

 

鹿島田吉澤先生に初めてゆがみ取りSPAT講習会でお目にかかったのは2010年の7月ですから、もう11年近くになります。それ以来、ゆがみ取りSPATの普及活動に協力してもらって、ずっと感謝しています。今日は、吉澤先生とゆがみ取りSPAT(以下SPATと略す)の関わりについて、いろいろとお話を伺いますので、よろしくお願いいたします。

吉澤こちらこそ、よろしくお願いいたします。

鍼灸・柔整師の道を選んだ理由は?

鹿島田吉澤先生とSPATの関わりを聞く前に、そもそものお話をお聞きします。先生が鍼灸・柔整師の道を選んだのはどんな理由だったのですか。何かきっかけがあったのですか。

吉澤私がこの業界を目指したのは高校2年生の時です。当時、私は野球部で外野手をしていました。一応、野球のスポーツ推薦で入学しました(笑)。ところが、高校に入ってからは肩や腰を痛め近所の接骨院に通っていました。右肩の痛みを騙しながら続けていましたが、どうしても以前のような球は投げられず、野球は高校までで終わりでした。次は漠然とトレーナーとかをイメージして、治す側になりたいなぁと思いました。

鹿島田学生の時には地元の接骨院の助手をされていたと以前聞きましたが、その接骨院では腰痛や肩こりなどの慢性疾患にはどんな施術をメインにしていたのですか。

吉澤その地元の接骨院は自分自身も通っていました。そこではその院独特の手技をメインで施術していました。

SPATの最初の印象は「効果の実感は薄かった」

鹿島田吉澤先生と初めて顔を合わせたのは、私が日本柔道整復専門学校で一般臨床医学を教えているときだと思うのですが、そうですよね。

吉澤そうです。

鹿島田確か最終講義の時に、少しだけSPATの話をしたと覚えているのですが。それが吉澤先生がSPATを知ったきっかけだったのですか。
 

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