週刊あはきワールド 2021年8月18日号 No.726

「未病を治す」~身体のゆがみをなおす~操体法シリーズ 第26回

操体法における「想」の周辺

 石井康智 


◎第25回 自分の成長だけを見つめて気持ちよく生きよう!
     (鹿島田忠史)
◎第24回 操体普及の重要性について(北田洋三・稲田稔)
◎過去記事≫≫  もっと見る

はじめに

 操体法における「息・食・動・想・環境」は、人間の行動を簡潔に集約した要素的表現である。「動」に注目して開発されたのが操体法であるが、これら5つの部分(要因)は同時相関相補性の関係にあるとされている。私たちの生活の要素(部分)であり、これらが全体の調和の中で機能しているとしている。

 社会的存在として生きる(生かされる)私たちが、操体法の世界(二人操体・一人操体)では5つの要因がどのように関係しているのか、はっきりしないまでも少しずつ言語化し、体験化していく必要があろう。「動」は操体法として形が整ってきている。今回は「想」を取り上げてみたい。

 「想」は人の考え、思いといった簡単に表現されているが、動作に伴う快-不快判断も「想」ではないのかと思える。あるいは「想」的側面であると。「想」とその周辺を話題にする。

操体法を学ぶ形

 操体法は、基本的知識と実習をセットに学んでいく。形態観察、動診、快-不快、連動性、重心の安定・移動の法則、息・食・動・想・環境、同時相関相補性、体の警告信号、微症状等といった知識や考え方を学びながら、実習によって操法を身につけていくのである。

 このように学んでも「操体法という形式・方法(型)」に捉われてしまう人と捉われながらも何らかのコツをつかんでいく人がいる。それぞれの知識は言語形式で伝達され相互に関連あると教えられても、橋本敬三先生の意図される基底的なこととその具体的体験過程(例えば「原始的感覚」「微症状を捉える」などを通じて「生かされている」ことを感じる)を実感することは非常に少ないのではないか。知識は部分であるが、操体法はそれらを含む全体として捉えられ関連付けられて、一人操体が成立してよいはずであろう。橋本敬三先生の終局的な願いではなかったかと思える。

(続きはログイン・ご購読後にお読みいただけます)

この記事の続きをお読みいただくためには、週刊『あはきワールド』(有料コンテンツ)のご購読手続きが必要です。

ご購読の申し込み ログイン(ご購読済みの方はこちら)




トップページにもどる